1、外国人登録法と指紋押捺制度
(1)、意義
・昭和27年(1952)のサンフランシスコ平和条約の発効と同時に、外国人登録法と出入国管理令が成立した。
(2)、外国人登録法
①、意義
・昭和22年(1947)に公布された外国人登録令が廃止されて、外国人登録法が成立した。当時、日本にいる外国人総数64万人のうち在日コリアンはその90%をしめる57万人であったので、主に在日コリアンを対象として制定された法であった。
②、問題点
ア)、外国人登録証明書の常時携帯義務
・外国人は、常時外国人登録証明書を携帯し、警官をはじめ日本の官憲が呈示を求めた時は、これに応じなければならず、違反すれば罰則がかされた。
イ)、指紋押捺制度
・昭和27年(1952)の制定当初は14歳、昭和57年(1982)の改正時は16歳以上の外国人は、3年に1回登録書を切り替えるたびに、指紋の押捺をしなければならなかった。さらにその指紋採取も、左手の人差し指を180度回転させて押す回転押捺方式であり、あたかも犯罪者のようであった。
2、指紋押捺拒否運動
(1)、意義
・昭和27年(1952)の外国人登録法の指紋押捺制度の制定以後、さまざまな抵抗運動はあったが大きなうねりにはならなかった。それが1980年代に入り、在日の法制度に対する怒りが一気に噴出した。特にこの指紋押捺拒否運動は、在日の二世や三世によって担われた特徴を持っていた。全国各地で指紋押捺拒否の声があがり、拒否者および留保者が全国で一万人に及ぶというという大きな運動となった。
(2)、はじまり
・指紋押捺拒否運動は、 昭和55年(1980)9月に在日コリアン一世である韓宗碩(ハン・ジョンソク)が、外国人登録法に定められた指紋押捺は屈辱の烙印であるとして、東京新宿区役所で指紋紋押捺を拒否したことにより始まった。拒否から一年後、韓は牛込警察署の取調べをうけて東京地検へ送検され、外国人登録法違反で起訴された。
(3)、裁判
①、概略
・昭和59年(1984)に、神奈川県で指紋押捺拒否をして逮捕された日系アメリカ人のキャサリン・モリカワが、外国人登録法によって要求される外国人登録原票などへの指紋押捺の義務づけが、憲法13条(個人の尊厳、プライバシー)、憲法14条(不合理な差別の禁止)に違反し、また犯罪容疑者と同じ回転押捺式は品位を傷つける取扱いを禁じた国際人権規約第7条に反するとして争われた。
②、判決
・多数の下級審においては、私生活上の自由の一つとして「承諾なしにみだりに指紋押捺を強制されない自由」があることを認めたが、同一人性を確認するために必要かつ合理的な手段として指紋押捺は合憲であるとした。
・最高裁においては、昭和57年法75号による改正前の指紋押捺の義務について、「指紋の押捺を強制されない自由」を憲法13条によって保護される「個人の私生活上の自由の一つ」としたが、押捺制度の立法目的には「十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できる」し、手段も「一般的に許容される限度を超えない相当なもの」であったとした。
3、指紋押捺制度の全廃
(1)、指紋押捺の形骸化
・指紋押捺制度の本来の趣旨は、外国人が同一人物かどうかを確認するためであると自治省は説明してきた。しかし、自治体職員達によって実務においては本人の照合などまったくされていないことが明らかとなり、外国人の指紋押捺制度が形骸化していること分かった。
(2)、指紋押捺制度の全廃
・昭和62年(1987)の法改正で、一年以上在留する16歳以上の外国人は、原則として登録申請の際に一回に限り指紋押捺をすることに改められた。さらに、平成4年(1992)の改正によって、永住資格を認められた定住外国人に対する指紋押捺はすべて廃止された。また、非永住者についても平成11年(1999)の法改正で指紋押捺制度は廃止され、現在は署名と写真提出の制度に変更された。
(3)、課題
・外国人登録法において指紋押捺制度と同様に問題となった外国人登録証明書の常時携帯義務については、現在もまだ廃止されていない。
<参考文献>
『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(在日本大韓民国民団中央民族教育委員会、明石書店、2006)
『憲法』(芦部信喜、東京大学出版会、2002)
(1)、意義
・昭和27年(1952)のサンフランシスコ平和条約の発効と同時に、外国人登録法と出入国管理令が成立した。
(2)、外国人登録法
①、意義
・昭和22年(1947)に公布された外国人登録令が廃止されて、外国人登録法が成立した。当時、日本にいる外国人総数64万人のうち在日コリアンはその90%をしめる57万人であったので、主に在日コリアンを対象として制定された法であった。
②、問題点
ア)、外国人登録証明書の常時携帯義務
・外国人は、常時外国人登録証明書を携帯し、警官をはじめ日本の官憲が呈示を求めた時は、これに応じなければならず、違反すれば罰則がかされた。
イ)、指紋押捺制度
・昭和27年(1952)の制定当初は14歳、昭和57年(1982)の改正時は16歳以上の外国人は、3年に1回登録書を切り替えるたびに、指紋の押捺をしなければならなかった。さらにその指紋採取も、左手の人差し指を180度回転させて押す回転押捺方式であり、あたかも犯罪者のようであった。
2、指紋押捺拒否運動
(1)、意義
・昭和27年(1952)の外国人登録法の指紋押捺制度の制定以後、さまざまな抵抗運動はあったが大きなうねりにはならなかった。それが1980年代に入り、在日の法制度に対する怒りが一気に噴出した。特にこの指紋押捺拒否運動は、在日の二世や三世によって担われた特徴を持っていた。全国各地で指紋押捺拒否の声があがり、拒否者および留保者が全国で一万人に及ぶというという大きな運動となった。
(2)、はじまり
・指紋押捺拒否運動は、 昭和55年(1980)9月に在日コリアン一世である韓宗碩(ハン・ジョンソク)が、外国人登録法に定められた指紋押捺は屈辱の烙印であるとして、東京新宿区役所で指紋紋押捺を拒否したことにより始まった。拒否から一年後、韓は牛込警察署の取調べをうけて東京地検へ送検され、外国人登録法違反で起訴された。
(3)、裁判
①、概略
・昭和59年(1984)に、神奈川県で指紋押捺拒否をして逮捕された日系アメリカ人のキャサリン・モリカワが、外国人登録法によって要求される外国人登録原票などへの指紋押捺の義務づけが、憲法13条(個人の尊厳、プライバシー)、憲法14条(不合理な差別の禁止)に違反し、また犯罪容疑者と同じ回転押捺式は品位を傷つける取扱いを禁じた国際人権規約第7条に反するとして争われた。
②、判決
・多数の下級審においては、私生活上の自由の一つとして「承諾なしにみだりに指紋押捺を強制されない自由」があることを認めたが、同一人性を確認するために必要かつ合理的な手段として指紋押捺は合憲であるとした。
・最高裁においては、昭和57年法75号による改正前の指紋押捺の義務について、「指紋の押捺を強制されない自由」を憲法13条によって保護される「個人の私生活上の自由の一つ」としたが、押捺制度の立法目的には「十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できる」し、手段も「一般的に許容される限度を超えない相当なもの」であったとした。
3、指紋押捺制度の全廃
(1)、指紋押捺の形骸化
・指紋押捺制度の本来の趣旨は、外国人が同一人物かどうかを確認するためであると自治省は説明してきた。しかし、自治体職員達によって実務においては本人の照合などまったくされていないことが明らかとなり、外国人の指紋押捺制度が形骸化していること分かった。
(2)、指紋押捺制度の全廃
・昭和62年(1987)の法改正で、一年以上在留する16歳以上の外国人は、原則として登録申請の際に一回に限り指紋押捺をすることに改められた。さらに、平成4年(1992)の改正によって、永住資格を認められた定住外国人に対する指紋押捺はすべて廃止された。また、非永住者についても平成11年(1999)の法改正で指紋押捺制度は廃止され、現在は署名と写真提出の制度に変更された。
(3)、課題
・外国人登録法において指紋押捺制度と同様に問題となった外国人登録証明書の常時携帯義務については、現在もまだ廃止されていない。
<参考文献>
『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(在日本大韓民国民団中央民族教育委員会、明石書店、2006)
『憲法』(芦部信喜、東京大学出版会、2002)