1、意義
・昭和45年(1970)、富士銀行雷門支店副長・菅沼正男の自動販売機のオペレーター会社トムソンに対する不正融資事件が明らかになる。このとき、売り出し中であった広島グループの総大将小川薫一派が総会で富士銀行の役員を追及し、会長や頭取を退陣に追い込もうとし、富士銀行側は大物総会屋島崎英治に対策を依頼し、事件の裏面で総会屋が暗躍した事件である。
2、経緯
(1)、事件の発覚
・昭和45年(1970)4月、富士銀行の佐々木副頭取のもとに、富士銀行雷門支店副長・菅沼正男が自動販売機のオペレーター会社であるトムソンの架空輸出手形を買い取り、トムソンの有馬社長に2年数か月の間に19億円余りの不正融資をし、この事件が発覚したら海外に逃亡したとの報告が入る。
(2)、常務会で対策を協議する
・佐々木副頭取はすぐに常務会を開いて対策を協議し、事件化を避けるためにこの事件は富士銀行のトムソンへの融資の焦げ付きとして処理し、トムソンを再建し貸金を取り立てることで処理をすることにした。
(3)、大蔵省への報告
・トムソンの有馬社長も海外に逃亡してしまう。これによって富士銀行側はやむを得ずに当時の大蔵省へ事件を報告した。ここにおいて、マスコミも報道をはじめ、警察も捜査をはじめ、国会においても事件が取り上げられるに至る。
(4)、「広島グループ」の暗躍
①、総会屋の暗躍
・この事件を聞きつけた総会屋が、富士銀行にたかってお金を得ようとした。この動きの中で最大なものが、当時売り出し中であった「広島グループ」の小川薫一派であった。小川グループはこの事件を本格的に富士銀行の株主総会で追及し、当時の富士銀行の金丸会長や岩佐頭取を退陣させて総会屋としての確固たる地位を築こうと考えていた。
②、広島グループの暗躍
・小川は大きな犠牲を覚悟で総会屋に臨む態勢を作っていた。小川ら広島グループには広島の暴力団共政会がついているといわれ、富士銀行の株主総会に暴力団員を含む100人を動員すると噂されていた。
(5)、富士銀行の幹事総会屋島崎英治の対策
・富士銀行は幹事総会屋島崎英治に相談をし、島崎は、
①膨大な資金を提供して小川を黙らせる
②株主総会前に岩佐頭取が退陣を表明する
のどちらかしかない旨を伝える。
(6)、岩佐頭取の事件処理
①、外遊
・富士銀行の岩佐頭取は、当時の大蔵大臣である福田赳夫とともにIMFの総会に政府顧問として随行していた。これは福田蔵相の、野党の追及が激しくマスコミが過熱報道をしている間は岩佐頭取を海外に連れ出しておき、また岩佐頭取もIMFの総会に出席したということで花道を作り退陣をさせようという策であった。
②、岩佐頭取の事件処理
・外遊から帰国した岩佐頭取は、
ア)、役員のボーナルの全額返上
イ)、常務取締役以上の減給
ウ)、井口雷門支店長の論旨免職
エ)、外国部長の辞任受理
と矢継ぎ早に事件を処理していった。
(7)、岩佐頭取の退陣
・岩佐頭取は株主総会の運営に自信がなかったので、幹事総会屋島崎の提案について
①総会屋の小川薫に対して資金提供はしない
②自らが責任をとって頭取を退任する
との明確な方針を定めた。
(8)、総会屋の小川薫が手を引く
・岩佐頭取が退任をしたということで、総会屋の小川薫はこの事件から手を引いて富士銀行側と和解をした。
<参考文献>
『総会屋の100年』(神田豊晴、リッチマインド、1991)
・昭和45年(1970)、富士銀行雷門支店副長・菅沼正男の自動販売機のオペレーター会社トムソンに対する不正融資事件が明らかになる。このとき、売り出し中であった広島グループの総大将小川薫一派が総会で富士銀行の役員を追及し、会長や頭取を退陣に追い込もうとし、富士銀行側は大物総会屋島崎英治に対策を依頼し、事件の裏面で総会屋が暗躍した事件である。
2、経緯
(1)、事件の発覚
・昭和45年(1970)4月、富士銀行の佐々木副頭取のもとに、富士銀行雷門支店副長・菅沼正男が自動販売機のオペレーター会社であるトムソンの架空輸出手形を買い取り、トムソンの有馬社長に2年数か月の間に19億円余りの不正融資をし、この事件が発覚したら海外に逃亡したとの報告が入る。
(2)、常務会で対策を協議する
・佐々木副頭取はすぐに常務会を開いて対策を協議し、事件化を避けるためにこの事件は富士銀行のトムソンへの融資の焦げ付きとして処理し、トムソンを再建し貸金を取り立てることで処理をすることにした。
(3)、大蔵省への報告
・トムソンの有馬社長も海外に逃亡してしまう。これによって富士銀行側はやむを得ずに当時の大蔵省へ事件を報告した。ここにおいて、マスコミも報道をはじめ、警察も捜査をはじめ、国会においても事件が取り上げられるに至る。
(4)、「広島グループ」の暗躍
①、総会屋の暗躍
・この事件を聞きつけた総会屋が、富士銀行にたかってお金を得ようとした。この動きの中で最大なものが、当時売り出し中であった「広島グループ」の小川薫一派であった。小川グループはこの事件を本格的に富士銀行の株主総会で追及し、当時の富士銀行の金丸会長や岩佐頭取を退陣させて総会屋としての確固たる地位を築こうと考えていた。
②、広島グループの暗躍
・小川は大きな犠牲を覚悟で総会屋に臨む態勢を作っていた。小川ら広島グループには広島の暴力団共政会がついているといわれ、富士銀行の株主総会に暴力団員を含む100人を動員すると噂されていた。
(5)、富士銀行の幹事総会屋島崎英治の対策
・富士銀行は幹事総会屋島崎英治に相談をし、島崎は、
①膨大な資金を提供して小川を黙らせる
②株主総会前に岩佐頭取が退陣を表明する
のどちらかしかない旨を伝える。
(6)、岩佐頭取の事件処理
①、外遊
・富士銀行の岩佐頭取は、当時の大蔵大臣である福田赳夫とともにIMFの総会に政府顧問として随行していた。これは福田蔵相の、野党の追及が激しくマスコミが過熱報道をしている間は岩佐頭取を海外に連れ出しておき、また岩佐頭取もIMFの総会に出席したということで花道を作り退陣をさせようという策であった。
②、岩佐頭取の事件処理
・外遊から帰国した岩佐頭取は、
ア)、役員のボーナルの全額返上
イ)、常務取締役以上の減給
ウ)、井口雷門支店長の論旨免職
エ)、外国部長の辞任受理
と矢継ぎ早に事件を処理していった。
(7)、岩佐頭取の退陣
・岩佐頭取は株主総会の運営に自信がなかったので、幹事総会屋島崎の提案について
①総会屋の小川薫に対して資金提供はしない
②自らが責任をとって頭取を退任する
との明確な方針を定めた。
(8)、総会屋の小川薫が手を引く
・岩佐頭取が退任をしたということで、総会屋の小川薫はこの事件から手を引いて富士銀行側と和解をした。
<参考文献>
『総会屋の100年』(神田豊晴、リッチマインド、1991)