1、抗争
第一次池袋抗争 昭和58年(1983) 住吉連合会幸平一家石田睦池田会vs極東関口三浦連合会髙橋総業
第二次池袋抗争 平成10年(1998) 住吉会幸平一家矢野睦会vs極東会眞誠会髙橋総業
2、池袋の勢力地図
・池袋は昭和40年頃になってくると、だいたい博徒の幸平一家とテキヤの極東関口一家の縄張りに二分された。その後、この二大組織が断続的に抗争を起していった。
3、第一次池袋抗争
(1)、池田会の登場と武闘派髙橋総業
①、池田会の登場と武闘派髙橋総業
ア)、池田会の登場
・昭和47年暮れ頃から、池田烈会長率いる住吉連合会幸平一家石田睦池田会が躍進してきた。池田会は極東関口一家の縄張りを侵し、両組織間で激しい衝突が繰り広げられるようになった。この抗争を別名「十年戦争」という。
イ)、武闘派髙橋総業
・髙橋総業を率いる髙橋仁氏は、池袋生れの池袋育ちで、26歳で高橋総業を結成した。「うちは相手が頭下げて挨拶してくれば、こっちも頭下げて挨拶しますけどね、横ヤリいれてくれば喧嘩になりますよ。絶対引かないから、うちは抗争事件ばかり起こしてきちゃった」というほどの武闘派であった。
②、抗争
・昭和53年(1978)、池田会側が極東関口一家の組員を殺害した。
・昭和54年(1979)、池田会側が極東系の事務所を銃撃した。
・昭和57年(1982)、スナックでの些細な口論から双方の事務所を銃撃し合った。
③、警察官への誤射事件
・昭和58年(1983)10月6日、池田会と髙橋総業とが衝突するという情報を手に入れた警察は、髙橋総業の事務所付近で張り込みをした。この時、池田会木村睦川井組の組員が警察官を誤射し、警察官が重傷、流れ弾があたった通行人にも軽傷を負わせる事件が起こった。
③、極東側の返し
・昭和58年(1983)10月7日、高橋総業の組員が池田会木村睦川井組組長宅を銃撃した。
(2)、抗争終結
①、和解
・抗争の拡大が懸念される中、住吉連合会会長・堀政夫氏と極東関口三浦連合総長・松山眞一氏の話し合いで、和解となった。
②、池田の赤字破門処分
・関東博徒の親睦団体である関東二十日会は、「一般民間人又は警察官並びにその抗争とはなんら関係のない人等に向かって危害を加えた場合は破門又は絶縁処分とする」という通達を出していた。堀氏はこの通達に基づいて、池田氏を赤字破門処分とした。
(3)、住吉連合会vs道仁会の危機
①、池田が道仁会へ
・池田氏は九州の道仁会を頼り、道仁会会長・古賀磯次氏は自分を頼ってきたということで侠気で迎え入れた。しかし、破門者を迎え入れたということで住吉連合会と道仁会との間で一触即発の抗争に発展しかかった。
②、和解
・堀氏の名代の西口茂男氏が道仁会と交渉を行い、和解が成立した。
(4)、影響
①、関東二十日会と関東神農同士会の交流
・抗争の反省として、博徒系の関東二十日会とテキヤ系の関東神農同士会が、昭和59年(1984)2月14日に合同食事会を開催した。この交流はこれ以後も毎年続けられるようになった。
②、道仁会と旧池田会関係者との絆
・旧池田会関係者は、住吉連合会との抗争を覚悟して池田会を受け入れてくれた古賀氏の侠気に感謝をした。この中に池田会で若頭補佐を務めていた加藤英幸氏がおり、これ以後も道仁会との交流を深め、令和3年(2021)の住吉会と道仁会との五分の兄弟会としての親戚縁組につながった。この時の書状には「住吉会総本部長 幸平一家十三代目総長 加藤英幸殿の強い御要望と御推挙により」との記載があった。
4、住吉会と極東会の縁組
・平成7年(1995)7月、住吉会と極東会との間で親戚縁組の盃が交わされた。
5、第二次池袋抗争
(1)、抗争
①、意義
・平成10年(1998)3月5日夜から6日昼にかけて、第一次池袋抗争の再来を思わせるような、住吉会幸平一家と極東会眞誠会との間で連続6件の拳銃発砲事件が発生した。
②、抗争
・平成10年(1998)3月4日午前、金属バットや手錠などを持っていた極東会系幹部ら3人が凶器準備集合罪容疑で逮捕された。
・同4日夜、極東会系幹部のマンションに火炎瓶が投げられ、ドアや壁の一部が焼け焦げた。
・同5日夜、極東会系組員が乗っていた乗用車とベンツがすれ違った時に、すれ違いざまに銃撃がなされ、極東会系組員2人が重軽傷を負った。
・同6日午前、池袋三丁目の住吉会系組長の自宅、池袋本町一丁目の住吉会関係者が以前住んでいたマンション、西池袋二丁目の住吉会関係者宅でそれぞれ弾痕が見つかった。
・同6日午後、火炎瓶が投げつけられた極東会系幹部のマンションで弾痕が見つかった。
・同6日午後、板橋区志村三丁目の住吉会関係者宅で弾痕が見つかった。
(2)、和解
・住吉会会長・西口茂男氏と極東会会長・松山眞一氏との話し合いで和解に至った。
<参考文献>
『極東会大解剖』(実話時代編集部、三和出版、2003)
『反社会勢力』(笠倉出版社、2014)
『住吉会総覧』(竹書房、2007)
『ヤクザ・レポート』(山平重樹、ちくま文庫、2002)
第一次池袋抗争 昭和58年(1983) 住吉連合会幸平一家石田睦池田会vs極東関口三浦連合会髙橋総業
第二次池袋抗争 平成10年(1998) 住吉会幸平一家矢野睦会vs極東会眞誠会髙橋総業
2、池袋の勢力地図
・池袋は昭和40年頃になってくると、だいたい博徒の幸平一家とテキヤの極東関口一家の縄張りに二分された。その後、この二大組織が断続的に抗争を起していった。
3、第一次池袋抗争
(1)、池田会の登場と武闘派髙橋総業
①、池田会の登場と武闘派髙橋総業
ア)、池田会の登場
・昭和47年暮れ頃から、池田烈会長率いる住吉連合会幸平一家石田睦池田会が躍進してきた。池田会は極東関口一家の縄張りを侵し、両組織間で激しい衝突が繰り広げられるようになった。この抗争を別名「十年戦争」という。
イ)、武闘派髙橋総業
・髙橋総業を率いる髙橋仁氏は、池袋生れの池袋育ちで、26歳で高橋総業を結成した。「うちは相手が頭下げて挨拶してくれば、こっちも頭下げて挨拶しますけどね、横ヤリいれてくれば喧嘩になりますよ。絶対引かないから、うちは抗争事件ばかり起こしてきちゃった」というほどの武闘派であった。
②、抗争
・昭和53年(1978)、池田会側が極東関口一家の組員を殺害した。
・昭和54年(1979)、池田会側が極東系の事務所を銃撃した。
・昭和57年(1982)、スナックでの些細な口論から双方の事務所を銃撃し合った。
③、警察官への誤射事件
・昭和58年(1983)10月6日、池田会と髙橋総業とが衝突するという情報を手に入れた警察は、髙橋総業の事務所付近で張り込みをした。この時、池田会木村睦川井組の組員が警察官を誤射し、警察官が重傷、流れ弾があたった通行人にも軽傷を負わせる事件が起こった。
③、極東側の返し
・昭和58年(1983)10月7日、高橋総業の組員が池田会木村睦川井組組長宅を銃撃した。
(2)、抗争終結
①、和解
・抗争の拡大が懸念される中、住吉連合会会長・堀政夫氏と極東関口三浦連合総長・松山眞一氏の話し合いで、和解となった。
②、池田の赤字破門処分
・関東博徒の親睦団体である関東二十日会は、「一般民間人又は警察官並びにその抗争とはなんら関係のない人等に向かって危害を加えた場合は破門又は絶縁処分とする」という通達を出していた。堀氏はこの通達に基づいて、池田氏を赤字破門処分とした。
(3)、住吉連合会vs道仁会の危機
①、池田が道仁会へ
・池田氏は九州の道仁会を頼り、道仁会会長・古賀磯次氏は自分を頼ってきたということで侠気で迎え入れた。しかし、破門者を迎え入れたということで住吉連合会と道仁会との間で一触即発の抗争に発展しかかった。
②、和解
・堀氏の名代の西口茂男氏が道仁会と交渉を行い、和解が成立した。
(4)、影響
①、関東二十日会と関東神農同士会の交流
・抗争の反省として、博徒系の関東二十日会とテキヤ系の関東神農同士会が、昭和59年(1984)2月14日に合同食事会を開催した。この交流はこれ以後も毎年続けられるようになった。
②、道仁会と旧池田会関係者との絆
・旧池田会関係者は、住吉連合会との抗争を覚悟して池田会を受け入れてくれた古賀氏の侠気に感謝をした。この中に池田会で若頭補佐を務めていた加藤英幸氏がおり、これ以後も道仁会との交流を深め、令和3年(2021)の住吉会と道仁会との五分の兄弟会としての親戚縁組につながった。この時の書状には「住吉会総本部長 幸平一家十三代目総長 加藤英幸殿の強い御要望と御推挙により」との記載があった。
4、住吉会と極東会の縁組
・平成7年(1995)7月、住吉会と極東会との間で親戚縁組の盃が交わされた。
5、第二次池袋抗争
(1)、抗争
①、意義
・平成10年(1998)3月5日夜から6日昼にかけて、第一次池袋抗争の再来を思わせるような、住吉会幸平一家と極東会眞誠会との間で連続6件の拳銃発砲事件が発生した。
②、抗争
・平成10年(1998)3月4日午前、金属バットや手錠などを持っていた極東会系幹部ら3人が凶器準備集合罪容疑で逮捕された。
・同4日夜、極東会系幹部のマンションに火炎瓶が投げられ、ドアや壁の一部が焼け焦げた。
・同5日夜、極東会系組員が乗っていた乗用車とベンツがすれ違った時に、すれ違いざまに銃撃がなされ、極東会系組員2人が重軽傷を負った。
・同6日午前、池袋三丁目の住吉会系組長の自宅、池袋本町一丁目の住吉会関係者が以前住んでいたマンション、西池袋二丁目の住吉会関係者宅でそれぞれ弾痕が見つかった。
・同6日午後、火炎瓶が投げつけられた極東会系幹部のマンションで弾痕が見つかった。
・同6日午後、板橋区志村三丁目の住吉会関係者宅で弾痕が見つかった。
(2)、和解
・住吉会会長・西口茂男氏と極東会会長・松山眞一氏との話し合いで和解に至った。
<参考文献>
『極東会大解剖』(実話時代編集部、三和出版、2003)
『反社会勢力』(笠倉出版社、2014)
『住吉会総覧』(竹書房、2007)
『ヤクザ・レポート』(山平重樹、ちくま文庫、2002)