1、抗争
平成15年(2003) 栃木県 五代目山口組弘道会東海興業大栗組vs住吉会住吉一家親和会
2、大栗組の山口組入り
(1)、四ツ木斎場事件による宇都宮の新秩序形成
・平成13年(2001)、四ツ木斎場事件が起こり、宇都宮を縄張りとしていた稲川会大前田一家は名跡抹消の上で解散となった。その後宇都宮駅東口は、親和会傘下の栃木一家、羽黒一家、勘助十三代目、矢畑一家の四組織が四社会を結成して縄張りとした。
参考)、ヤクザ抗争史 四ツ木斎場事件
(2)、大栗組の山口組入り
・宇都宮の拠点を置く大栗組は、東京のテキヤ組織に所属するテキヤであったので、親和会との間でトラブルは起こっていなかった。しかし、1990年代後半に五代目山口組弘道会東海興業入りしたことによって、宇都宮に緊張が生まれるようになった。
3、小競り合い
(1)、トラック特攻事件(親和会田野七代目→弘道会東海興業大栗組)
・縄張り内に山口組系組織の事務所があるのは問題があるとして、田野七代目は大栗組の事務所にトラックを突っ込ませた。
(2)、事実上の黙認
・弘道会側は手打ちを申し入れたが、田野七代目はこれを拒否した。大栗組の事務所は山口組の「連絡所」ということで事実上黙認されることとなったが、この後も、親和会系組織と大栗組の小競り合いは続いた。
4、大抗争の始まり
(1)、はじまり(親和会田野七代目→弘道会東海興業大栗組)
・栃木県内の運転代行業の利権などをめぐり両組織の緊張関係が高まり、平成15年(2003)4月18日、大栗組の組事務所に、田野七代目組員が大型保冷車で突っ込んだ。
(2)、弘道会の猛攻(弘道会→親和会)
①、意義
・弘道会は情報収集能力が高く、対立組織に対しては、そのフロント企業、幹部らの自宅住所、携帯番号、愛人宅、行きつけの飲食店まで徹底的に調べ上げるという。弘道会は最初の田野七代目とのトラブルが起こったあたりからすでに情報収集を始めていたようであり、この情報によって、大型保冷車の特攻事件から即座に、親和会系の組事務所だけでなく、組関係者が経営する店、さらには組幹部の殺害までを誤射なくたった3日間で行った。
②、田野七代目事務所銃撃事件
・保冷車の特攻から30分後の午前4時過ぎ、田野七代目組事務所に十数発が撃ち込まれた。この後すぐに、親和会は運転代行業者の大栗組関係者の自動車がバッドで襲った。
③、光京睦会幹部射殺事件
・同年4月19日、群馬県で光京睦会幹部で西田組組長・西田孝雄が射殺された。その後2日後、親和会は10トンダンプで大栗組事務所へ突入し、二度目の大栗組事務所襲撃を行った。
④、田野七代目幹部射殺事件
・同年4月21日、田野七代目幹部・関谷弘美が射殺された。
5、「組事務所の使用制限」の仮命令
・抗争の激化に、栃木県警は大栗組事務所と田野七代目事務所に、宮城県警は大栗組の上部団体である東海興業の組事務所に、暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令を出した。これによって、一旦抗争は沈静化した。
6、弘道会本部への襲撃(親和会→弘道会)
・親和会は、警察の規制が厳しい地元栃木ではなく、東海興業や大栗組の上部組織である弘道会の膝下である名古屋での返しを企図した。平成15年(2003)5月5日、弘道会司龍興業ビル前で弘道会系組員が銃撃され、重傷を負った。
7、弘道会のさらなる猛攻(弘道会→親和会)
(1)、光京睦会特別相談役射殺事件
・弘道会はすぐに返しをした。同年5月5日、栃木県佐野市の親和会光京睦会の組事務所に男が押し入り、事務所内にいた光京睦会特別相談役・野沢昇平と同会系鈴木組組員が射殺された。
(2)、下馬一家事務所襲撃事件
・同日、親和会下馬一家の組事務所が襲撃され、警戒中の組員が撃たれて重傷を負った。
(3)、樺山組組員射殺事件
・同年5月14日、栃木県栃木市にある栃木女子高校前で、親和会系樺山組組員が射殺された。
8、「組事務所の使用制限」の仮命令・本命令
・抗争の激化に、愛知県警が弘道会本部事務所に、栃木県警が親和会本部事務所と親和会光京睦会総本部事務所に暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令を出した。さらに、東海興業と大栗組、田野七代目の各事務所へは「組事務所の使用制限」の本命令が出された。
9、親和会の返し(親和会→弘道会)
・同年5月15日には山形で弘道会系組員が銃撃され重傷を負い、19日には福島で同じく弘道会系組員が銃撃され軽傷を負い、20日には再び山形で弘道会高橋興業の事務所に銃弾が撃ち込まれ、23日には仙台で弘道会高橋興業幹部の自宅前で鉄パイプ爆弾が爆破された。
10、和解
(1)、山口組vs住吉会の全面抗争は防がれる
・弘道会と親和会の両トップは、山口組と住吉会の要職についていたことから、山口組と住吉会の全面抗争に発展することが懸念されたが、弘道会会長・司忍は裁判中であり、また親和会会長・小松澤英雄は「前橋スナック銃乱射事件」で警察の徹底取り締まり対象となっていたために、大抗争となることは防がれた。
(2)、和解
・同年6月12日、東京都内のホテルで双方の最高幹部が話し合って抗争終結に合意し、和解が成立した。体裁としては弘道会が親和会に謝罪をし、大栗組は看板を下ろすこととなったが、わずか2か月で親和会系組員5人の命を誤射なく奪った弘道会の恐ろしさを関東のヤクザ組織に植え付けることとなった。なお、大栗組は平成17年(2005)年頃に大道興業として復活し、現在は弘道会の直参団体である。
<参考文献>
『山口組分裂抗争の全内幕』(西岡研介他、宝島社、2016)
『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、 イースト・プレス 、2011)
『山口組vs関東ヤクザ』(土井泰昭、笠倉出版社、2014)
平成15年(2003) 栃木県 五代目山口組弘道会東海興業大栗組vs住吉会住吉一家親和会
2、大栗組の山口組入り
(1)、四ツ木斎場事件による宇都宮の新秩序形成
・平成13年(2001)、四ツ木斎場事件が起こり、宇都宮を縄張りとしていた稲川会大前田一家は名跡抹消の上で解散となった。その後宇都宮駅東口は、親和会傘下の栃木一家、羽黒一家、勘助十三代目、矢畑一家の四組織が四社会を結成して縄張りとした。
参考)、ヤクザ抗争史 四ツ木斎場事件
(2)、大栗組の山口組入り
・宇都宮の拠点を置く大栗組は、東京のテキヤ組織に所属するテキヤであったので、親和会との間でトラブルは起こっていなかった。しかし、1990年代後半に五代目山口組弘道会東海興業入りしたことによって、宇都宮に緊張が生まれるようになった。
3、小競り合い
(1)、トラック特攻事件(親和会田野七代目→弘道会東海興業大栗組)
・縄張り内に山口組系組織の事務所があるのは問題があるとして、田野七代目は大栗組の事務所にトラックを突っ込ませた。
(2)、事実上の黙認
・弘道会側は手打ちを申し入れたが、田野七代目はこれを拒否した。大栗組の事務所は山口組の「連絡所」ということで事実上黙認されることとなったが、この後も、親和会系組織と大栗組の小競り合いは続いた。
4、大抗争の始まり
(1)、はじまり(親和会田野七代目→弘道会東海興業大栗組)
・栃木県内の運転代行業の利権などをめぐり両組織の緊張関係が高まり、平成15年(2003)4月18日、大栗組の組事務所に、田野七代目組員が大型保冷車で突っ込んだ。
(2)、弘道会の猛攻(弘道会→親和会)
①、意義
・弘道会は情報収集能力が高く、対立組織に対しては、そのフロント企業、幹部らの自宅住所、携帯番号、愛人宅、行きつけの飲食店まで徹底的に調べ上げるという。弘道会は最初の田野七代目とのトラブルが起こったあたりからすでに情報収集を始めていたようであり、この情報によって、大型保冷車の特攻事件から即座に、親和会系の組事務所だけでなく、組関係者が経営する店、さらには組幹部の殺害までを誤射なくたった3日間で行った。
②、田野七代目事務所銃撃事件
・保冷車の特攻から30分後の午前4時過ぎ、田野七代目組事務所に十数発が撃ち込まれた。この後すぐに、親和会は運転代行業者の大栗組関係者の自動車がバッドで襲った。
③、光京睦会幹部射殺事件
・同年4月19日、群馬県で光京睦会幹部で西田組組長・西田孝雄が射殺された。その後2日後、親和会は10トンダンプで大栗組事務所へ突入し、二度目の大栗組事務所襲撃を行った。
④、田野七代目幹部射殺事件
・同年4月21日、田野七代目幹部・関谷弘美が射殺された。
5、「組事務所の使用制限」の仮命令
・抗争の激化に、栃木県警は大栗組事務所と田野七代目事務所に、宮城県警は大栗組の上部団体である東海興業の組事務所に、暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令を出した。これによって、一旦抗争は沈静化した。
6、弘道会本部への襲撃(親和会→弘道会)
・親和会は、警察の規制が厳しい地元栃木ではなく、東海興業や大栗組の上部組織である弘道会の膝下である名古屋での返しを企図した。平成15年(2003)5月5日、弘道会司龍興業ビル前で弘道会系組員が銃撃され、重傷を負った。
7、弘道会のさらなる猛攻(弘道会→親和会)
(1)、光京睦会特別相談役射殺事件
・弘道会はすぐに返しをした。同年5月5日、栃木県佐野市の親和会光京睦会の組事務所に男が押し入り、事務所内にいた光京睦会特別相談役・野沢昇平と同会系鈴木組組員が射殺された。
(2)、下馬一家事務所襲撃事件
・同日、親和会下馬一家の組事務所が襲撃され、警戒中の組員が撃たれて重傷を負った。
(3)、樺山組組員射殺事件
・同年5月14日、栃木県栃木市にある栃木女子高校前で、親和会系樺山組組員が射殺された。
8、「組事務所の使用制限」の仮命令・本命令
・抗争の激化に、愛知県警が弘道会本部事務所に、栃木県警が親和会本部事務所と親和会光京睦会総本部事務所に暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令を出した。さらに、東海興業と大栗組、田野七代目の各事務所へは「組事務所の使用制限」の本命令が出された。
9、親和会の返し(親和会→弘道会)
・同年5月15日には山形で弘道会系組員が銃撃され重傷を負い、19日には福島で同じく弘道会系組員が銃撃され軽傷を負い、20日には再び山形で弘道会高橋興業の事務所に銃弾が撃ち込まれ、23日には仙台で弘道会高橋興業幹部の自宅前で鉄パイプ爆弾が爆破された。
10、和解
(1)、山口組vs住吉会の全面抗争は防がれる
・弘道会と親和会の両トップは、山口組と住吉会の要職についていたことから、山口組と住吉会の全面抗争に発展することが懸念されたが、弘道会会長・司忍は裁判中であり、また親和会会長・小松澤英雄は「前橋スナック銃乱射事件」で警察の徹底取り締まり対象となっていたために、大抗争となることは防がれた。
(2)、和解
・同年6月12日、東京都内のホテルで双方の最高幹部が話し合って抗争終結に合意し、和解が成立した。体裁としては弘道会が親和会に謝罪をし、大栗組は看板を下ろすこととなったが、わずか2か月で親和会系組員5人の命を誤射なく奪った弘道会の恐ろしさを関東のヤクザ組織に植え付けることとなった。なお、大栗組は平成17年(2005)年頃に大道興業として復活し、現在は弘道会の直参団体である。
<参考文献>
『山口組分裂抗争の全内幕』(西岡研介他、宝島社、2016)
『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、 イースト・プレス 、2011)
『山口組vs関東ヤクザ』(土井泰昭、笠倉出版社、2014)