令和4年(2022)7月8日、奈良県の近畿日本鉄道大和西大寺駅前で元総理大臣・安倍晋三氏が射殺されました。犯人は元海上自衛官・上山徹也氏。右翼は左翼政党を攻撃するイメージでしたが、結構自由民主党も攻撃している事実に興味を持って、その歴史を調べたことがあったので投稿します。その原因はたいてい、政治の腐敗や外交に対する不満です。

 cf.ただし、宅建太郎さんによると上山徹也氏と右翼は関係ないようです。現在の報道だと、動機は政治的思想ではなく統一教会に対する恨みでその統一教会と関係が深い安倍氏が狙われたようです。



1、石橋湛山代議士暗殺予備事件

 ・昭和28年(1953)、看板製造雇人であった田中美佐が、石橋湛山代議士を殺害する目的でその私邸に侵入して逮捕された事件。原因は、大日本愛国党総裁の赤尾敏の演説を聞き、政治が悪いのは石橋の責任であると信じ込み、石橋を説得して聞き入れられなければ刺殺し自らも自殺しようと思ったため。

2、民主自由党本部放火未遂事件

 (1)、民主自由党とは?

  ・民主自由党は、昭和23年(1948)に、日本自由党と日本社会党との連立政権に反対して離党した元民主党議員からなる民主クラブが合流して結成された政党である。総裁は吉田茂がつとめた。その後、昭和25年(1950)に民主党連立派と合流して自由党と改称し、昭和30年(1955)に日本民主党と合同して自由民主党となっている。

 (2)、民主自由党本部放火未遂事件

  ・昭和29年(1954)、皇道実践会の越前栄八が、民主自由党本部を放火した事件。目的は、「日本の政治は敗戦の卑屈その極に達しており、これを処する政府、与党は無為無策で民族自立は不可能である」として、国民や政党を覚醒させるための警鐘として放火したと主張した。

3、吉田首相殺人予備事件

 ・昭和29年(1954)、青果商店員の大野一朗が、吉田茂首相の暗殺を決意して果物ナイフをもって首相公邸に侵入しようとして徘徊中に逮捕された事件。大野によると原因は、「造船汚職で指揮権を発動させるなど政界腐敗の根源」は吉田首相であるとして狙ったものであった。

4、吉田首相殺人予備事件

 ・昭和29年(1954)、大工の葛原法生が、吉田茂首相の暗殺を決意して神奈川県大磯の吉田首相の私邸へ侵入して徘徊中に逮捕された事件。葛原によると原因は、「吉田首相は責任をとらずに国会を私物化している」として政治刷新をめざしたものであった。

5、吉田首相殺人予備事件

 ・昭和29年(1954)、土工の佐伯進が、吉田茂首相の暗殺を決意して神奈川県大磯の吉田首相の私邸へダイナマイトをもって徘徊中に逮捕された事件。佐伯によると原因は、下層労働者の地位向上のためであった。佐伯は葛原の事件に刺激されての犯行であった。

6、吉田首相殺人予備事件

 ・昭和29年(1954)、大日本生産党の丸山利之が、吉田首相の暗殺を決意して首相官邸に侵入しようとして逮捕された事件。丸山によると原因は、吉田首相が靖国神社に参拝しないくせに渡米した時は米国戦士の墓に花輪捧げた事や、造船汚職に指揮権を発揮した事への抗議のためであった。

7、岸信介首相傷害事件

 ・昭和35年(1960)、元大化会員荒牧退助が首相官邸で登山用ナイフで岸信介首相を刺した事件。原因は、岸首相が大野伴睦代議士に内閣への協力の代償として後任総裁に推すことを約束しながら、これを反古にしたためであった。

8、池田勇人首相暗殺未遂事件

 ・昭和38年(1963)、大日本愛国青年連盟会長の石本隆夫が福島県郡山市での政談演説会に臨んだ池田勇人首相を襲撃しようとして逮捕された事件。原因は、池田内閣の政策が反国家的、容共的であるとして政策の修正と池田内閣の早期退陣を要求し、それを受け入れないならば刺殺しようとしたものであった。

9、河野一郎邸焼打ち事件

 ・昭和38年(1963)、憂国同志会会長の野村秋介と同会員村野卓也が河野一郎建設相の私邸に侵入し、ガソリンをまいて放火し全焼させた事件。野村はその原因を、河野一郎が自民党の派閥抗争の根源であるとし、自民党に反省を促す意味で放火したと語った。

10、賀屋興宣代議士殴打事件

 (1)、事件

  ・昭和44年(1969)、九段会館で大東塾の長谷川幸男・川田貞一ら三人が、日本遺族会会長である自民党代議士の賀屋興宣らと靖国神社法案について語り合っている最中に、賀屋会長に誠意がないとして川田が賀屋会長を殴打した事件。

 (2)、背景

  ・靖国神社は敗戦によって一宗教法人となった。しかし、サンフランシスコ講和条約の発効以後、日本遺族会、神社本庁、右翼団体は靖国神社国家護持、すなわち靖国神社の国営化を目指して運動をはじめた。問題となったのが、靖国神社の宗教性であった。憲法20条や憲法89条により靖国神社の宗教性を認めれば国家護持とすることは困難となる。しかし、宗教性を除いては「英霊を祀る」ことにはならない。自民党内ではさまざまな私案が作られ、国会に提出されては廃案となっていた。このような中、宗教性を容れた「青木私案」が成立困難であったことから、宗教性を除いた「根本私案」が推されたが、これに不満であったのが大東塾であった。大東塾は、賀屋会長が「根本私案」を推しているとして再三、賀屋会長に面会を求め、このような殴打事件に至ったわけである。

11、佐藤栄作首相への「赤紙」発送事件

 ・昭和47年(1972)、防共挺身隊の横山武彦と大日本愛国党の佐藤博志が、復刻版「軍隊手帳」についている「赤紙」を使って佐藤栄作首相に「召集令状」を送り、公印偽造で逮捕された事件。「(経済同友会の)木川田、永野集団を排除する」というビラが入っていたことから、日中貿易に反対することが目的であったと思われる。

12、田中角栄首相殺人予備事件

 ・昭和47年(1972)、防共挺身隊の吉田伸也が、刺身包丁をもって田中角栄首相の暗殺を計画し、知人宅へ別れを告げにいく所で殺人予備と銃刀法違反で逮捕された事件。原因は、田中角栄首相の訪中に対して反対をするためであった。

13、藤山愛一郎自民党代議士暴行事件

 ・昭和47年(1972)、大日本愛国党の筆保泰禎が、羽田空港で訪中する親中派議員である自民党の藤山愛一郎代議士を襲った事件。原因は、藤山が外相当時、中華民国との間で日本国と中華民国との間の平和条約(通称日華条約)を締結しておきながら、最近になって同条約破棄を述べるのは不当であるとし、藤山の訪中を阻止するための犯行であった。

14、三木武夫首相殴打事件

 ・昭和50年(1975)、大日本愛国党の筆保泰禎が、佐藤栄作首相の国民葬が行われた東京の日本武道館で、葬儀の直前に三木武夫首相を二回にわたり殴り軽傷を負わせた事件。筆保は核拡散防止条約に反対して、三三木首相宛の自殺勧告書をもって直訴しようと機会をうかがっていたが、三木首相が国民葬に出席するのを知り、武道館に入り込んで首相の背後から襲ったものであった。なお、この国民葬には大日本愛国党の赤尾敏総裁も政府から招待されて出席をしていた。

15、河野洋平新自由クラブ代表襲撃事件

 ・昭和51年(1976)、京都市で演説をしていた新自由クラブ代表の河野洋平を、踏道同志会主席の金山政勝が登山ナイフで襲撃した事件。河野にケガはなかった。河野はロッキード事件にみる自民党の金権体質に反発して新自由クラブを結成したが、金山は自民党を辞めて新党を結成したことがけしからないかた襲撃したと動機を語った。なお、金山は山口組系清水組幹部、竹中組組長代行でもあった。

16、三木武夫首相暗殺予備事件

 ・昭和51年(1976)、維新国士会の新保力男が、三木武夫首相の暗殺を計画して改造拳銃をもって東京赤坂のホテルから出てきたところを逮捕された事件。原因は、ロッキード事件における政局の混迷は三木首相の責任であると考えたから。

17、橋本登美三郎傷害事件

 ・昭和52年(1977)、大洗町の飛田圭造が、茨城県潮来町で自らが建立した慈母観音の本堂前でロッキード事件で被告となっていた自民党代議士の橋本登美三郎を刺した事件。飛田は、橋本にロッキード事件での反省を迫る目的であった。

18、大平正芳首相襲撃事件

 (1)、事件

  ・昭和53年(1978)、首相公邸玄関前で車に乗ろうとした大平首相に対して、登山ナイフを持った元国士館大学学生で元国防青年隊隊員広瀬純夫が襲い掛かった事件。

 (2)、背景

  ・広瀬は高校生の時は暴走族「マッド・スペシャル」に入っていた。昭和53年(1978)に暴走族の締め出しを狙って道交法改正が実施され、暴走族が右翼結社に変身した。「マッド・スペシャル」は国防青年隊となっている。

19、田中角栄元首相殺人予備事件

 ・昭和56年(1981)、大日本誠流社の降矢靖(ふるやおさむ)が田中元首相を殺害するために、ロッキード事件の公判が行われていた東京地裁、軽井沢のゴルフ場に現れて田中元首相を狙った事件。原因は、ロッキード事件における田中元首相に憤慨したためであると思われる。

20、石田博英代議士宅いやがらせ事件

 ・昭和58年(1983)、自民党の石田博英代議士宅へ、大日本憂国同志会の豊田敏彦ら約30人が宣伝カー8台で押しかけて街宣を行った事件。原因は、石田代議士がアメリカに亡命した元ソ連国家保安委員会(KGB)の在日職員のレフチェンコからKGBのスパイであったと指摘されたので、日本の秘密情報をKGBに売り渡したソ連の手先として石田代議士に反発したため。

21、後藤田正晴官房長官面接強要事件
 
 ・昭和58年(1983)、参議院選の遊説が終わり岡山空港で搭乗を待っていた後藤田正晴官房長官に対して、愛国党岡山県本部長の岡田定見ら9人が、田中角栄元首相の引退を求めて面会を要求した事件。護衛の警官に制止されると、憤激して空港ビルのガラスを破る等の行為も行った。

22、田中角栄元首相に自決要望書事件

 ・昭和58年(1983)、大日本国民塾の大塚洋が、田中角栄元首相の事務所へ自決要望書と包丁をもってタクシーから降りた所を逮捕された事件。この事件の7日前にロッキード事件における田中元首相の実刑判決があった。

23、田中角栄元首相邸火炎瓶投擲未遂事件

 ・昭和60年(1985)、愛国青年同盟の大西優が、田中角栄元首相邸付近で職務質問を受け、その際ボストンバックから火炎瓶が発見された事件。愛国青年同盟は松山市にある団体であるが、東京の右翼団体の田中元首相への抗議行動が低調であるので警鐘を鳴らすために行ったのが動機であった。なお、大西は昭和59年(1984)にも田中元首相邸へ火炎瓶を投げ込んで逮捕されている。

24、中曽根家墓所不敬事件

 ・昭和61年(1986)、日本青年社の中村実と土屋昇が、群馬県高崎市にある中曽根家累代之墓に横幕2枚と看板7枚を張り巡らした事件。これらの横幕や看板には「靖国の英霊を無視する中曽根康弘には祖先の墓も必要なし」と書かれていたことからも分かるように、原因は、中曽根首相が一度は靖国神社の公式参拝に踏み切ったにも関わらず、後に公式参拝を中止したことに抗議をするためであった。

25、皇民党事件

 (1)、事件

  ・昭和62年(1987)、高松市に本部を置く日本皇民党が、当時中曽根康弘首相の後継を安倍晋太郎、宮澤喜一と争っていた竹下登を「日本一金儲けの上手い竹下さんを総理にしましょう」などとほめることで逆にイメージダウンを図る運動をつづけた事件。

 (2)、「ほめ殺し」の中止

  ・日本皇民党の「ほめ殺し」に困った竹下は、さまざまなルートから日本皇民党に中止を依頼するがうまくいかなかった。そこで、中尾宏元自民党代議士が、当時佐川急便グループの実権をにぎるために自民党政治家と人脈作りをしており、稲川会の石井進会長のスポンサーでもあった東京佐川急便の渡辺広康社長に依頼。渡辺社長が石井会長に依頼をし、石井会長が会津小鉄会の小頭三神忠組長を通して日本皇民党の稲本虎翁総裁に中止の依頼をした。稲本は竹下が田中角栄元首相を訪ねて謝罪をすることを条件として「ほめ殺し」を中止することに同意した(中尾宏元自民党代議士→東京佐川急便の渡辺広康社長→稲川会の石井進会長→会津小鉄会の小頭三神忠組長→日本皇民党)。

26、竹下登事務所短銃郵送事件

 ・昭和62年(1987)、日本交友会会長の鹿島日出喜や原秀俊らが、竹下登自民党幹事長の議員会館の部屋へ拳銃と弾丸を送った事件。中には「金権竹下政権を問う」と題されたビラと、竹下に自民党総裁選への立候補を断念するように迫る脅迫状が入っていた。

27、中曽根康弘前首相への脅迫状事件

 ・昭和63年(1988)、中曽根前首相の高崎市にある選挙事務所に、「赤報隊一同」という名義で、「朝日の次は貴殿の番だ」と書かれた脅迫状が送られてきた事件。当時は、「赤報隊」と名乗るものが朝日新聞社を襲撃した赤報隊事件が起こっていた時期であった。原因は、中曽根が靖国公式参拝や教科書問題で中国の抗議により中止や訂正をしたことに対する抗議のためであった。

28、首相官邸トラック突入事件

 ・平成元年(1989)3月5日、当時の竹下登首相は支持率が低迷していた。野村秋介事務所の水谷伸一と宮崎九州雷鳴社の長友泰彦は、ガソリンを積んだトラックで首相官邸東側の塀に突っ込んだ。トラックの車内には、ヤルタ・ポツダム体制打倒青年同盟の名前の入ったビラがあった。

29、中曽根康弘前首相殺人予備事件

 ・平成元年(1989)、大行社護皇連合の大胡幸平が、中曽根康弘前首相を狙うために自宅に拳銃を持っていた所を警視庁に逮捕された事件。リクルート事件での中曽根の態度に対して、天誅を下すことが目的であった。

30、金丸信襲撃事件

 (1)、事件

  ・平成2年(1990)、金丸信自民党副総裁は田辺誠社会党副委員長とともに北朝鮮を訪問し、国交正常化を目指して金日成主席と会談し、過去の植民地支配を謝罪して、共同宣言にもこのような趣旨を挿入した。これに対して、右翼団体が金丸を一斉に攻撃した。平成4年(1992)、金丸が足利市民会館で土下座外交を非難されて拳銃で襲撃される事件も起こっている。

 (2)、中止

  ・金丸は東京佐川急便の渡辺広康社長を通じて、稲川会の石井進会長に依頼し、石井は大行社に中止要請をし、大行社はこれに従った。

31、中曽根康弘事務所発砲事件

 ・平成2年(1990)、国憂会の小西幸治が、群馬県高崎市にある中曽根康弘前首相の選挙事務所に乱入して発砲をした事件。この当時、連日右翼団体はリクルート事件での中曽根の態度を批判していた。

32、建国義勇軍事件

 ・平成14年(2002)から平成15年(2003)にかけて、建国義勇軍、国賊征伐隊を名乗る岐阜の「刀剣友の会」の村上一郎ら6人が起こした23件の事件。当時は北朝鮮による日本人拉致が問題となっており、その憤慨が原因であった。自民党からは、加藤紘一、鈴木宗男、河野洋平、野中広務、中山正暉(なかやままさあき)各氏が狙われた。

<参考文献>

 『最新 右翼辞典』(堀幸雄、柏書房、2006)
 「【独自】安倍元首相を撃った山上徹也が供述した、宗教団体「統一教会」の名前」(現代ビジネス編集部、20220709)