1、意義

 ・被差別部落の人々は就職差別に一貫して苦しんできた。そのような中で、昭和40年代後半(1970年代)に入ると、同和地区出身者に対する就職差別反対運動が起こってきた。

2、応募用紙の規格化
 
 ・企業への応募用紙(いわゆる社用紙)には、本籍や出生地のほかに思想、宗教、支持政党など就職差別につながるおそれがある項目が多く含まれていた。そのため、昭和46年(1971)に近畿各府県の関係機関が協議をして、これらの項目を削除した近畿高等学校統一応募用紙を作成した。この取り組みはその後の全国統一応募用紙の制定や、日本工業規格、いわゆるJIS規格化へと広がっていった。

3、部落地名総監事件

 (1)、事件

  ①、意義

   ・昭和50年(1975)、興信所「企業防衛懇話会」の経営者が、全国の被差別部落の地名・所在地・戸数・職業などを掲載した『人事極秘 特殊部落地名総監』を販売した。この書籍の売り込みチラシが部落解放同盟大阪府連に知られたことにより、「地名総監」の存在が明るみに出た。この書籍は、合計53冊が販売されており、購入先は大企業が多かった。その他「地名総監」は、『全国特殊部落一覧』『全国特殊部落リスト』『大阪府下同和地区概況』『日本の部落』など昭和53年(1978)までに9種類が確認された。

  ②、明るみに出た就職差別

   ・企業は、部落の子は乱暴で職場で仲間とゴタゴタを起こす、被差別部落は犯罪の温床である、被差別部落民の背後に運動団体が見えかくれするなどという理由で、応募書類の住所から同和地区出身者かどうかを割り出すために「地名総監」を利用していた。

  ③、どのようにして作成されたのか

   ・これらの「地名総監」は、昭和11年(1936)に中央融和事業協会が作成した『全国部落調査』が原典であった。この資料は、部落問題研究者には歴史的資料として活用されてきたものである。

 (2)、影響

  ①、販売者

   ・販売した経営者は、部落解放同盟の糾弾を受け、販売された書籍は法務局が回収して焼却処分した。

  ②、企業

   ア)、同企連・企同連の結成

    ・部落解放同盟は、「地名総監」を購入した企業の責任を求めた。この結果として、大企業は「同和問題企業連絡会」(同企連)に、中小企業は行政主導で結成された「企業同和問題推進連絡協議会」(企同連)に加盟することとなった。これらの団体は、部落解放同盟と企業を連携させる役割を持ち、定期的な部落問題に関する研修が行われるようになった。

     cf.同企連には、トヨタ、NTTなど大企業が加盟しており、年間数十万円と高額であり。他方、企同連は年間数千円程度ですむ。

   イ)、同和枠

    ・企業が部落民を優先雇用する「同和枠」が行われるようになった。

  ③、旧労働省

   ・旧労働省の職業安定局雇用促進課は、企業に同和問題の正しい理解と公正な採用を促した。また、「企業内同和問題研修推進員」という制度も作られた。

  ④、「どこが部落か」がタブーとなる

   ・事件以前は、部落の場所を隠さなければならないとう考えはなかったが、この事件以後は「どこが部落か」は完全にタブーとなった。これ以後も、部落史研究者の塩見鮮一郎や広島法務局人権擁護部長が「地名総監」自体には問題がなくこれを就職差別に使うことが悪いと発言をしたが、部落解放同盟は「地名総監」は差別目的以外に利用価値はない差別図書であるとして批判した。

<参考文献>

『近代部落史』(黒川みどり、平凡社、2011)
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)
人権啓発ビデオ 人権アーカイブシリーズ「同和問題 ~過去からの証言、未来への提言~」