1、「融和教育」「同和教育」「責善教育」「民主教育」「福祉教育」
(1)、意義
・被差別部落に住む人たちの中には小さいときから子守奉公や家の手伝いなどで学校に行きたくても行けない人が多くいた。教育をうけないがために社会に適応できず貧困の連鎖が起きないように、子どもだけではなく親に対しても教育が行われた。このような取り組みは明治期から始まり、「融和教育」「同和教育」「責善教育」「民主教育」「福祉教育」などと呼ばれた。
cf.神戸市の番町部落で育った加茂田重政氏は字の読み書きができず、刑務所で覚えたと語っています。
(2)、内容
・部落の子どもの学力向上、生命の尊重、健康の保持、市民的権利についての理解、合理的・科学的な考え方の育成、望ましい人間関係の情勢などが教育の内容となった。教育基本法14条2項に教育の政治的中立が定められているので、特定のイデオロギー教育は施されず、また部落問題を子ども達に教えるための特別な授業も行われなかった。
2、「解放教育」
(1)、意義
・昭和38年(1963)に、埼玉県狭山市で高校一年生の少女に対する強盗強姦殺人事件が起こり、被差別部落出身の貧農・石川一雄が逮捕された。ここから狭山闘争が始まる。この狭山闘争以後、同和教育は大きく変わり、一部の地域では学校や教育委員会と部落解放同盟が連携し、あからさまに部落解放同盟のイデオロギーを取り入れた特別な授業が行われるようになった。この「部落教育」を受けた世代は、たいてい印象がよくない。
(2)、内容
①、狭山同盟休校
・部落解放同盟の政治的活動が学校教育に持ち込まれるようになった。事件が最高裁に係属した昭和51年(1976)には、石川の無罪を訴えて、解放同盟員の子どもを一斉に学校を休ませる「狭山同盟休校」が、全国数万人規模で行われた。また、道徳や同和教育の中で、「石川一雄さんは無罪だ」と教えたり、子どもたちに「狭山差別裁判糾弾」などと書かれたゼッケンを付けて登校させるなどが行われた。
②、「部落民宣言」へ
・狭山同盟休校によって、誰が部落民の子なのかが学校に知れ渡ってしまった。これ以後、部落解放同盟の強い影響を受けた地域においては、部落の児童・生徒がクラス全員の前で自分の住んでいる場所は部落であるという宣言する「部落民宣言」あるいは「立場宣言」と呼ばれる教育が行われるようになった。
③、思想改造
・教育内容に疑問を持ったり、異論をはさむことは許されず、教師から延々と説得されたり、強制的に「思想改造」のようなことも行われた。
<参考文献>
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)
(1)、意義
・被差別部落に住む人たちの中には小さいときから子守奉公や家の手伝いなどで学校に行きたくても行けない人が多くいた。教育をうけないがために社会に適応できず貧困の連鎖が起きないように、子どもだけではなく親に対しても教育が行われた。このような取り組みは明治期から始まり、「融和教育」「同和教育」「責善教育」「民主教育」「福祉教育」などと呼ばれた。
cf.神戸市の番町部落で育った加茂田重政氏は字の読み書きができず、刑務所で覚えたと語っています。
(2)、内容
・部落の子どもの学力向上、生命の尊重、健康の保持、市民的権利についての理解、合理的・科学的な考え方の育成、望ましい人間関係の情勢などが教育の内容となった。教育基本法14条2項に教育の政治的中立が定められているので、特定のイデオロギー教育は施されず、また部落問題を子ども達に教えるための特別な授業も行われなかった。
2、「解放教育」
(1)、意義
・昭和38年(1963)に、埼玉県狭山市で高校一年生の少女に対する強盗強姦殺人事件が起こり、被差別部落出身の貧農・石川一雄が逮捕された。ここから狭山闘争が始まる。この狭山闘争以後、同和教育は大きく変わり、一部の地域では学校や教育委員会と部落解放同盟が連携し、あからさまに部落解放同盟のイデオロギーを取り入れた特別な授業が行われるようになった。この「部落教育」を受けた世代は、たいてい印象がよくない。
(2)、内容
①、狭山同盟休校
・部落解放同盟の政治的活動が学校教育に持ち込まれるようになった。事件が最高裁に係属した昭和51年(1976)には、石川の無罪を訴えて、解放同盟員の子どもを一斉に学校を休ませる「狭山同盟休校」が、全国数万人規模で行われた。また、道徳や同和教育の中で、「石川一雄さんは無罪だ」と教えたり、子どもたちに「狭山差別裁判糾弾」などと書かれたゼッケンを付けて登校させるなどが行われた。
②、「部落民宣言」へ
・狭山同盟休校によって、誰が部落民の子なのかが学校に知れ渡ってしまった。これ以後、部落解放同盟の強い影響を受けた地域においては、部落の児童・生徒がクラス全員の前で自分の住んでいる場所は部落であるという宣言する「部落民宣言」あるいは「立場宣言」と呼ばれる教育が行われるようになった。
③、思想改造
・教育内容に疑問を持ったり、異論をはさむことは許されず、教師から延々と説得されたり、強制的に「思想改造」のようなことも行われた。
<参考文献>
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)