1、意義

 ・幕末に端を発する名門で、池袋、上板橋、高田馬場、椎名町、江古田、中野などを中心として、西武新宿線や西武池袋線沿線等広範な地域を縄張りとしている。

2、初代藤沢幸平

 (1)、経歴

  ・江戸時代は武士身分で役人をしていたが、退役後に江古田で渡世人として成功し、次第に一家をなしていった。明治18年(1885)に死去する。

 (2)、小金井一家との抗争事件

  ・明治14年(1881)、幸平一家は小金井小次郎率いる小金井一家と縄張りをめぐって抗争事件を起こした。藤沢と小金井は懇意の間柄で一家の物同士も仲が良かったが、幸平一家の矢島金蔵という貸元が小金井一家の縄張りを自分の縄張りだと信じ込んでしまって賭博を開帳したのが原因であった。結局、落合一家初代・落合円次郎が仲裁人となって、両者の縄張りを明確に定めることによって無事収めた。

3、二代目矢島熊蔵、三代目寺沢久太郎、四代目浅井藤助

4、五代目森田音次郎

 ・新宿山吹町に居を構えて、若い衆は鶴巻町や早大付近を縄張りとしていた。

5、六代目足立勘助、七代目高山寅吉、八代目佐藤虎吉

6、九代目本橋政夫

 (1)、経歴

  ・本橋政夫は、七代目高山寅吉の筆頭代貸であった石川三郎の若い衆であった。この石川が何かの事件で逮捕されそうになった時に一命をかけてそれを防いだ功績により、本橋は九代目を継承することになった。

 (2)、友愛会結成

  ・昭和33年(1958)、幸平一家の本橋政夫、土支田一家の杉原繁雄、滝野川一家の福原陸三、二本木小川一家の西沢福司の4博徒が集まって友愛会を結成した。

 (3)、住吉連合加盟

  ・昭和45年(1970)、堀政夫が住吉一家五代目を継承し、旧住吉会を再結集して住吉連合を発足させた。この住吉連合に、自然消滅をしていた友愛会が丸ごと加盟する形で幸平一家は住吉連合に加盟をした。

7、十代目青田富太郎

 (1)、港会会長

  ・「中盆の天才」と言われた高橋浅太郎の系譜に連なる人物であり、現在の住吉会の原点である関東の博徒・テキヤ・愚連隊など28団体を結集して港会の会長に就任した。この港会は、住吉会→住吉連合となり現在の住吉会となっている。

 (2)、青田会の祖

  ・青田会は、青田富太郎を祖とし、二代目の児玉明が青田一門を再結集して結成されたものである。

8、十一代目清水幸一

 ・昭和4年(1929)に生また。最初は向後平の舎弟であったが、向後亡きあと幸平一家に入り、十一第総長になった。西口茂男と同世代で、「浜本兄弟会」の一員として仲がいい兄弟分であった。「中野の親分」として親しまれていた。

9、十二代目築地久松

 ・昭和8年(1933)に生まれた。清水のもとでずっと総長代行をつとめ、清水亡きあと、十二代目を継承した。

10、十三代目加藤英幸

 ・平成19年(2007)9月に、築地の逝去に伴って、長い間幸平一家の代行をつとめ先代からは絶大な信頼をうけて一家を切り盛りしてきた加藤英幸が十三代目を継承した。加藤は昭和22年(1947)生まれで、幸平一家ではじめての戦後生まれの継承者となった。

<参考文献>

 『ヤクザ伝』(山平重樹、2000、幻冬舎)