稗史

社会の片隅で生きる人達の虚実織り交ぜた物語

 ・ヤクザと相撲

ヤクザと相撲 力士はなぜ博打が好きなのか?

1、かつて力士は博徒だった

 (1)、意義

  ・江戸時代の博徒を研究されている高橋敏氏によると、力士が博徒になるケースはよくあったそうです。

 (2)、江戸時代力士から博徒になった者の具体例

  ①、保下田久六 

   ・尾張から三河・伊勢に勢力を持っていた博徒。のちに清水次郎長に斬殺された。

  ②、飯岡助五郎 

   ・下総の博徒。笹川繁蔵と対決し、関東取締出役から笹川繁蔵召し捕りを命ぜられたことから決闘を行い、後に笹川繁蔵を暗殺した。天保水滸伝で有名である。また、相撲会所から「近国近在相撲世話人」の証状をもらっている。

  ③、笹川繁蔵

   ・下総の博徒。関東取締出役から繁蔵召し捕りを命ぜられた飯岡助五郎と縄張り争いも加わって決闘を行い、後に飯岡助五郎一味のものに暗殺された。天保水滸伝で有名である。また、相撲の神様である野見宿禰の碑を建立もしている。

  ④、勢力富五郎

   ・笹川繁蔵の子分の下総の博徒。笹川繁蔵が飯岡助五郎に暗殺されたあと、残された子分と共に飯岡助五郎をねらうが果たせず、関東取締出役の大掛かりな追っ手に囲まれ、潜伏先の金比羅山(千葉県東庄町)で自殺した。天保水滸伝で有名である。

  ⑤、寺津の治助(今天狗)

   ・今津(現在の愛知県西尾市)に勢力を持っていた博徒。

  ⑥、平井の亀吉(雲風) 

   ・東海道の宿場御油宿・赤坂宿(現在の愛知県豊川市)に勢力を持っていた博徒。現在の六代目山口組十一代目平井一家の初代である。

  ⑦、一本刀土俵入

   ・実在の人物ではありませんが、歌舞伎の演目に「一本刀土俵入」があります。これも力士をやめ博徒になった駒形茂兵衛の話しです。

2、相撲教習所の紳士教育

 (1)、意義

  ・昭和32年(1957)、蔵前国技館内に相撲教習所ができます。相撲教習所ができた経緯について相撲教習所で講師を務めた和歌森太郎氏は『相撲の歴史と民俗』の中で以下のように指摘します。

 (2)、引用

  「これまでとかくすると、力士はやや博徒あるいは侠客風なところがあってその点が愛されもしたけれども、洗練された紳士たちには、相撲をどうもなじみがたいものにさせてもいたのである。このような傾向を粛正して、力士も人間として紳士らしく振舞わなければならないことを強調したのは常陸山であった。礼節のやかましい部屋の生活、一般人に対する所作に折り目正しいものを持つようになったのは、すべてこの常陸山以来であったといってよい。」

 (3)、紳士教育

  ・力士は江戸時代以来の博徒侠客風な人が多いので、相撲教習所で紳士にしようということが相撲教習所の目的でした。しかし、その後の大相撲史を振り返ってみても、常陸山谷右エ門以来の思いはなかなかかなわなかったようです。

3、大相撲野球賭博問題

 (1)、意義

  ・平成22年(2010)、現役の大相撲力士、年寄などによる野球賭博への関与が発覚しました。


 (2)、内容

  ・当事者の貴闘力によりますと、「1割はバックで取られるわけ。100万円張ったとしたら1割を取られて90万円でくるわけ。直接じゃなくて中継みたいな人がいて、中継の人は反社じゃなくてお相撲さんあがりの人間とかね、働いてる中で小遣いを稼ごうと思ってやってる子が多いから、そういうのでみんな遊んでたの。それをどっかで聞きつけたヤツがいて、そんなことしてたら週刊誌に売るぞという形になったときにはじめて野球賭博が公になったの。野球賭博してた仲間が40人くらいいたの。どうしようどうしよう言っていて、じゃあ警察に相談した方がいいよねっていう話になって警察に相談したら、警察のヤツも出世したいじゃない。それを全部週刊新潮に売っちゃった」ということだそうです。

4、令和の違法賭博問題

 (1)、経緯

  ・令和3年(2021)7月30日と8月11日に、幕内英乃海と十両紫雷が埼玉県草加市の違法賭博店で違法スロットをやっていたことが同年12月に発覚しました。両力士は令和4年(2022)の初場所は師匠の木瀬親方の判断で休場することになりました。

 (2)、処分

  ・令和4年(2022)1月27日、日本相撲協会は英乃海を出場停止1場所と2ヶ月の報酬減額20%、紫雷をけん責という処分を発表しました。

 (3)、他の力士との比較

  ①、意義

   ・英乃海と紫雷への処分は他の力士と比較すると異常に軽いものになりました。

  ②、比較

   阿炎 協会のコロナガイドラインに違反しキャバクラ+協会に虚偽報告 3場所出場停止+5ヶ月50%の報酬減額

   竜電 協会のコロナガイドラインに違反し愛人と逢瀬 3場所出場停止

   朝乃山 協会のコロナガイドラインに違反しキャバクラ+協会に虚偽報告 6場所出場停止+6ヶ月50%の報酬減額
  
   貴源治 大麻使用 解雇

 (4)、なぜ処分が軽いのか?

  ①、日本相撲協会の説明

   ・日本相撲協会は処分が軽い理由を、①2回しか行っておらず常習性がない、②10万円以下で低額、③初場所休場しており社会的制裁を受けている、からとします。

  ②、貴賢神(元貴源治)のツイッター

   ・大麻使用で解雇になった貴賢神(元貴源治)はTwitterで、「人間殆ど貴乃花親方の味方だった人達。今の上の奴らの一門や部屋の奴らは法律犯しても解雇にならないんやなw 俺の時コンプラ委員会の奴らが法律に触れてるからとか言ってたけど今回のは触れてなかったのかな~ 流石です 相撲協会」とつぶやきました。処分が軽いのは木瀬部屋が出羽海一門だからであり、他方、貴乃花親方の味方をした過去がある親方の部屋の力士は処分が重くなる傾向があるそうです。
  
  ③、その他ネットの反応

   ・その他ネットでは、日大出身の力士には甘いとか、他の力士が違法賭博をやっていたことを公言しないかわりに処分を軽くしてもらったという説などが言われています。歴史的に考えれば力士は博徒の系譜なので親方衆も違法賭博をやっていた方も多いでしょうから、厳しく処分するのは心苦しかったのかもしれません。

5、まとめ

 ・ヤクザと大相撲の関係が問われることがありますが、かつて力士は博徒でした。博徒も力士も一瞬の勝負に人生を賭けるもの。親方のなかには勝負勘を養うためにむしろ博奕を奨励する人もいます。現在でも博奕好きの力士は多く、特に稀勢の里、豊ノ島、豪栄道、琴奨菊などガチンコ力士が博奕にハマるケースは多いそうです。豊ノ島はせっかく取得した「錦島」の年寄名跡を博奕のせいで手放したともいわれています。現在の力士は野球賭博、「バッタ」という花札賭博を行っているようですが、時代に合わせるためにも、公営ギャンブルやパチンコでガマンしないといけませんね。

  cf.貴闘力さんが力士はなぜ博打が好きなのかを語っています。


<参考文献>

 『清水次郎長――幕末維新と博徒の世界』(高橋敏、岩波書店、2010)
 『和歌森太郎著作集 (15)相撲の歴史と民俗』(和歌森太郎、弘文堂、1982)
 『大相撲の不思議』(内館牧子、潮出版社、2018)
 「暴力団、八百長、突然の引退……元妻が明かす“天才横綱”輪島大士の壮絶な真実」(武田頼政、文春オンライン、2019)
 「稀勢の里 博打後「ハア、600万負けた」と語ったとの証言」(週刊ポスト、2011年4月15日号)
 「違法賭博の英乃海は3月場所出場OK なぜ外出禁止違反の方が重罰? 朝乃山は「力士の生命を脅かしたかも」」(中日スポーツ20220127)
 歌舞伎 on the web 歌舞伎演目案内「一本刀土俵入」(20220128)


ヤクザと相撲 警察・ヤクザ・弁護士の大相撲コンプライアンス利権の争奪戦

1、意義

 ・元一和会幹事長・佐々木道雄氏が大相撲の世界から排斥されたのが昭和57年(1982)。

 参考)、ヤクザと相撲 元一和会幹事長・佐々木道雄氏は大相撲とどのようにかかわってきたのか?

  貴闘力さんの入門が昭和58年(1983)。貴闘力さんや懲役猫太郎さんの動画を見ると、佐々木氏排斥以後も力士とヤクザとの付き合いはほとんど変わっていなかったことがわかります。

2、佐々木氏排斥以後の大相撲界

 (1)、貴闘力の証言

  巡業に行ったら地回りのヤクザと喧嘩したとか言って、話付けにいかないといけない。そいつを連れて行ってそのまま話をしに行ったときなんか、「お前オラ」とか言われて、「ウチの大事な若い子をシバキあげてどう思ってんだコラ」とか言われて、「イヤイヤすみません」とか言って、「なんでそういう事したんだ」って言われたら、「お前なんでそんな叩いたんだ」ってオレがそいつに言うじゃないですか。そしたら「そいつがデブ専って言っておちょくったから」って言ったら、その親分が「お前この野郎、デブ専って言ったのか」って言ったら「言ってません」とか言って、言った言ってないで言い合いになって、結局そこで巡業があるのに朝話に行って、たまたま地回りの親分がオレの親父ももともとヤクザだったから、「昔ウチの親父と麻雀をやったことがあるんだよ」って言った瞬間、「ラッキー」と思って、そういうことで「すいません」って謝って、若い衆に2、3発ゲンコツ入れて、「一般の人を殴っちゃダメなんだよ」ってちゃんと2人で謝って「許してもらえ」って許してもらって、「これで手打ちにしてくれ」って手打ちにしてもらって、そしたら「じゃあ今日夜飯でも付き合ってくれるか」って言われたら、付き合いたくないけど付き合わないとしょうがなくなるでしょ。そこでしょうがなくそこの人間とご飯食べに行った。昔の話だから悪い悪くないは別の話として、そこで「小遣い」とか言って20万とか放ってくれるわけじゃない。その親分が。こんなのもらうわけにはいかないと思ったら、若い衆がその辺に7、8人いるじゃない。それに自分も10万円くらい色つけて、「みんな色々悪かったね」とか言いながら3万円とか5万円とかをみんなに渡して帰らせたりする。そういうことが地方巡業に行ったら多々あるわけ。誰々がシバイたとかとか、喧嘩したとか。血の気の多いヤツラばっかりだから。


 (2)、懲役猫太郎の証言

  ・懲役猫太郎も、所属していた組織のトップがある力士の後援会会長をやっており、今から30年ほど前に、地方巡業の力士を飲み屋さんとソープに連れて行く接待をしていた。さらに、佐々木が証言していない、力士の大麻使用についても言及している。


3、日本相撲協会の暴力団等排除宣言

 (1)、意義

  ・平成22年(2010)、日本相撲協会(放駒理事長(元大関魁傑))は以下のような暴力団排除宣言を出した。放駒(元大関魁傑)理事長は「今まで起こったことは起こったものとして、これから絶対にないようにと一応の線を引いた」とコメントを出した。この宣言の内容と佐々木の証言を比較してみると、大相撲とヤクザとの間で「今まで起こったこと」に対応していることがわかる。

 (2)、内容

   だれもが安心して相撲の観戦を楽しむことができ、力士が取組に専念できる相撲競技と土俵を守るために、また相撲の将来を担う後継者を健全に育成するために、私たち親方、力士をはじめとする日本相撲協会関係者は社会的責任を自覚し、暴力団など反社会的勢力の排除に取り組むことを宣言します。

   1. 暴力団など反社会的勢力を、国技館など本場所会場、巡業会場、部屋、後援会、祝勝会などには入れません。
   2. 興行、部屋・宿舎の運営や車・金銭の貸借などのあらゆる取引に反社会的勢力を関与させません。
   3. 反社会的勢力から金品や便宜、もてなしを受けません。 また飲食、ゴルフをともにするなどの交際はいっさいしません。
   4. 野球賭博などの違法行為はしません。次代の力士を育成する部屋の責任を自覚し、地域に開かれ、地域に守られた健全な運営に努めます。
   5. 協会関係者と反社会的勢力の接触を知ったときには、ただちに協会に報告し、その関係を絶ちます。
   6. 以上のことに違反した協会関係者に付いては慎重な調査の上、場合によっては解雇もふくむ厳正な措置をとります。
   7. 国技館をはじめとする競技会場における粗暴行為、ダフ屋行為、物品の無許可販売など、不正行為に対しては、断固たる措置をとります。

   以上のことをファンをはじめとする観客、視聴者、広く国民のみなさまにお約束し、過去の悪習と縁を切り、一日も早く信頼を回復し、相撲界が生まれ変わって伝統と文化のうえに明るい未来を築けるよう全力を挙げてまいります。厳しい叱咤激励をお願いいたします。

   平成22年8月30日公益財団法人日本相撲協会

4、ヤクザから警察OB・弁護士へ

 (1)、意義

  ・現在の日本相撲協会では、中日ドラゴンズに暴力団対策で雇われていたが、暴力団との癒着が激しく、日本シリーズ等のチケットを横流ししていたことから解雇された警察OBが、コンプライアンス部門を担当している。つまり、かつてヤクザが担っていた事を、今は警察OBがやっているのである。宮崎学がよく指摘するヤクザから警察OBや弁護士がコンプライアンス利権を奪った構図がここでも成り立つ。


 (2)、トラブルが起ったら警察、弁護士、ヤクザの誰に相談すればよいのか?

  ・平成22年(2010)の大相撲野球賭博問題に際して、貴闘力は野球賭博について脅された時、警察に相談するか弁護士に相談するか悩んだ末に警察に相談した。しかし、警察から野球賭博の情報が週刊新潮に流れ、これが報道されて大事になり、さらには大相撲八百長問題へと飛び火していった。他方、「お詫びの念書奪還事件」の場合は、佐々木が右翼関係者と掛け合い大事にならずにすんだ。裏社会とのトラブルはヤクザに解決を任せると内々で処理してくれ、大事にならないメリットがある。しかし、現在ヤクザにトラブル解決を依頼するだけで犯罪になる。貴闘力は、今は弁護士に相談するのが一番いいとする。


ヤクザと相撲 元一和会幹事長・佐々木道雄氏は大相撲とどのようにかかわってきたのか?

1、意義

 ・元一和会幹事長・佐々木道雄氏が、どのように大相撲とかかわってきたのかについて具体的に書かれている『相撲界の虚像と実像』という興味深い本があります。昭和の時代、ヤクザは大相撲とどのような関係を結んでいたのかについてまとめます。

2、佐々木と大相撲との接点 

 (1)、出生

  ・佐々木は昭和6年(1931)に奄美大島で生まれた。小学1年生の時に家庭の事情で神戸の小学校へ転校した。この小学校には、同じく奄美大島から神戸へ密航していた佐々木氏の2歳年上の親戚・米川文敏(のちの横綱三代目朝潮)もいた。小学校4年生から相撲部へ入り学校代表となり、6年生の時にはキャプテンにもなった。

 (2)、ヤクザになる

  ・小学校を卒業してから久里浜(横須賀市)の海軍対潜学校(通信)に志願して入学した。海軍は相撲の盛んな場所で、土俵の丸い線なしで相手を投げるか倒すかまでとことんやる海軍相撲をやり、分隊の代表選手になった。終戦後は神戸でヤクザになった。

 (3)、大相撲との接点

  ・佐々木の大相撲との接点は、米川による。米川は昭和23年(1948)に高砂部屋入りした。佐々木は高砂部屋の大阪の合宿所へちょくちょく訪れていた。そうしているうちに高砂親方(元横綱前田山)に、「米川の親戚の子で相撲好きの青年」と目をかけてもらえるようになった。佐々木と気が合ったのは、この高砂親方(元横綱前田山)と宮城野親方(元横綱吉葉山)であった。よって、大相撲界との社交もこの高砂一門(高砂部屋と九重部屋)や宮城野部屋系であった。

3、佐々木と相撲関係者の社交

 (1)、冠婚葬祭や式典への出席

  ・佐々木は数々の力士の結婚式、断髪式、葬式に出席し、昭和47年(1967)神戸に自宅を新築しその披露の祝宴を張った時は、多数の相撲界の関係者がこの祝宴に駆け付けた。

 (2)、審判部屋や力士控室への自由な出入り

  ・佐々木は蔵前でも大阪でも名古屋でも場所中に審判部屋や力士の控室に自由に出入りしていた。新弟子が持ってくる座布団にアグラをかき、お茶を飲んで親方衆と将棋を指したり雑談をしていたという。

 (3)、引退興行の切符を買う

  ・ある力士が引退をするときに引退興行の切符の売れ行きが芳しくなかった。佐々木は頼まれてその切符を100万円分購入してあげた。

 (4)、地方巡業への支援

  ①、意義

   ・かつて年二場所、三場所で各部屋別に巡業を行っていた時代、全体の6割程度はヤクザ関係者によって巡業が取り仕切られていた。年六場所制で合同巡業になるにつれて、ヤクザ関係者が巡業にかかわる回数も減ってきたが、やはり地方巡業については、日本相撲協会が興行の世界に通じているヤクザ関係者に頼らざるを得ない構造はなくならなかった。佐々木は地方巡業をやめなければヤクザとの関係は絶てないとする。

  ②、勧進元となる

   ・昭和49年(1974)に大阪府和泉市で行われた大相撲の興行は、勧進元が佐々木や佐々木の舎弟分であった。その後、警察の目も厳しくなってきたことから、巡業の勧進元にヤクザ関係者が名を連ねることはなくなり、〇〇商店連合とか〇〇福祉協会などが勧進元となるようになった。

  ③、地方巡業を支える

   ・勧進元にまではならなくても、巡業日程の根回し、切符の販売、巡業先での関取たちの酒や女の接待、部屋へのチャンコ材料の差し入れ、力士たちが各地の夜の街でひき起こす喧嘩をめぐるトラブルの解決など興行の世界に通じているヤクザが地方巡業を支える事は多かった。

4、相撲界内部のトラブルの解決

 (1)、年寄株の用立て

  ・佐々木は、「私が直接に年寄株の売買にかかわり、なんとかうまくまとめた例もある」とする。その具体例が元関脇高見山の「東関」年寄株入手である。昭和39年(1964)に高見山が高砂部屋入りしたときから佐々木は高見山をかわいがっていた。高見山が「東関」年寄株を入手するとき、当時の東関株は先代宮城野親方(元小結広川)の未亡人が所有し、大昇(元前頭筆頭、現春日山)が管理し、朝登が借りていたが、最終的には青葉城に譲る約束になっていた。ここに佐々木が介入してこの約束を白紙に戻させ、高見山に行くように裏工作をした。このこといついて今でも後味の悪い思いをしたとする。

 (2)、相撲部屋の承継に関するトラブル

  ①、高砂部屋

   ア)、高砂部屋の跡目騒動

    ・相撲部屋の後継問題は、所属力士とその看板を引き継ぐ相撲部屋の相続と、先代親方の土地や建物など個人的な遺産の相続が同時に発生するのでもめやすい。昭和46年(1971)に高砂親方(元横綱前田山)が亡くなった。この時、振分親方(元横綱三代目朝潮太郎)と佐ノ山親方(元小結国登)がその後継を争った。この時佐々木が介入し、振分親方(元横綱三代目朝潮太郎)が1億3000万円で高砂部屋を買い取り、5代目高砂親方となり、高砂部屋を継承した。

   イ)、高砂部屋の新後援会長騒動

    ・昭和46年(1971)の高砂親方(元横綱前田山)の死に際して、部屋の親方も新しくなったのだから、部屋の後援会長も新しくすべきではないかという議論が巻き起こった。この時も佐々木氏が介入して、親方が変わっても後援会長は先代高砂親方(元横綱前田山)時代のまま変わらないこととなった。

  ②、宮城野部屋

   ア)、元関脇陸奥嵐の離婚問題

    ・宮城野親方(元横綱吉葉山)は、宮城野部屋の後継者に元関脇陸奥嵐を予定し、元関脇陸奥嵐を自らの養女と結婚させていた。しかし、元関脇陸奥嵐は他に女を作っていて、①親方の養女とは離婚したい、②宮城野部屋を継げなくなるので年寄株を手に入れたい、③これらを受け入れるように宮城野親方(元横綱吉葉山)を説得してほしと佐々木に依頼してきた。佐々木は最初は元関脇陸奥嵐に離婚をせずに心を入れ替えて部屋を継承するように説得したが、どうしても元関脇陸奥嵐が受け入れないので、離婚届にハンコを捺すように宮城野親方(元横綱吉葉山)らを説得した。

   イ)、宮城野部屋の承継

    ・元関脇陸奥嵐は年寄安治川を手に入れたが、宮城野親方(元横綱吉葉山)に部屋から出ていくように言われたので、安治川(元関脇陸奥嵐)は友綱部屋へと移った。昭和52年(1977)宮城野親方(元横綱吉葉山)は死亡した。宮城野部屋は元小結広川が継承した。

5、大相撲と外部勢力とのトラブル解決

 (1)、お詫びの念書奪還事件

  ①、大相撲の黒い交際事件

   ア)、大関大麒麟

    ・昭和46年(1971)11月9日、大関大麒麟が恐喝容疑で未決勾留中の暴力団員を友情訪問した。これが問題となり、監督官庁である文部省の体育局スポーツ課長から日本相撲協会(武蔵川理事長)に警告が入り、日本相撲協会が大関大麒麟を「直接注意」の処分をした。文部省から警告をうけるのは日本相撲協会はじまって以来のことであるので、日本相撲協会は狼狽した。

   イ)、横綱北の富士

    ・九州場所前に福岡西署へ表敬訪問をすることは恒例となっていた。時の横綱であり、力士会会長でもあった北の富士もこの例にならって昭和46年(1971)の九州場所前の10月30日に、福岡西署へ表敬訪問をした。しかしこの時横綱北の富士とともに警察署へ行ったのが、有力なタニマチである右翼関係者の吉永正元であった。これにより横綱北の富士は日本相撲協会から「戒告」処分を受けるという憂き目にあった。

  ②、右翼関係者の懸賞を無断で降ろした

   ア)、吉永正元とは

    ・吉永は福岡の右翼団体「福青会」の総裁であり、報道によると伊豆組の準構成員であった。ちょっとした地元の名士でもあり、父は元市議会議員、自身はタクシー会社の社長で福岡の数大学の応援団の有力後援者にもなっていた。その吉永が昭和46年(1971)に、時の総理・佐藤栄作の沖縄返還の対米姿勢が軟弱すぎるとして、首相官邸に「佐藤総理、あなたはこのピストルで自害せよ」とピストルと実弾、さらに短刀を送りつける事件を起こし、同年9月に銃刀法違反で逮捕されていた。

     cf.後日吉永は、「自分の電話が盗聴されている」と錯覚し電電公社に苦情を入れ、対応に訪れた局員4人と電話局長2人を木刀で滅多打ちにして監禁し、後に警察官数百人とにらみ合い、最後は自宅のプロパンガスに火をつけて爆発させ、家ともろとも自らの命を絶った。

   イ)、無断で懸賞を降ろす

    ・吉永は大の相撲好きであり、同年11月の福岡場所にも懸賞をかけていた。しかし、日本相撲協会はこの「大相撲の黒い交際事件」の余波で、吉永に断りを入れることなく懸賞金の返金もせずに勝手に懸賞を降ろしてしまった。これに吉永が激昂した。吉永に攻められた日本相撲協会は、吉永の怒りを鎮めるために「念書」の形で詫び状を渡した。

  ③、「お詫びの念書」の奪還依頼

   ・日本相撲協会は詫び状を吉永に渡したものの、今度はこの詫び状を使って吉永が日本相撲協会に無理難題を突き付けてこないか、この詫び状が世間に公表されないかといったことを危惧した。よって、この詫び状を回収してほしいと日本相撲協会は宮城野親方(元横綱吉葉山)を通して佐々木に依頼してきた。

  ④、「お詫びの念書」の奪還

   ・佐々木は吉永に電話をかけ、数時間の話し合いの上でこの「お詫び念書」を取り戻した。この念書はすぐさま日本相撲協会の使いである春日野(元横綱栃錦)理事へと渡された。

  ⑤、日本相撲協会からの謝礼

   ・佐々木は日本相撲協会から120万から130万ほどのダイヤ入りのタイピンとカフスボタンのセットを謝礼の品としてもらい、さらに武蔵川(元横綱三重ノ海)理事長から直々に東京浜町の料亭でお礼の挨拶を受けた。

 (2)ヤクザとの喧嘩の仲裁

  ①、意義

   ・力士はしばしば夜の街で地元のヤクザと喧嘩をするトラブルを起こした。このような時には佐々木の元に「オヤジさん。またやってしまった。助けて下さい」と電話がかかってきて、佐々木が相手方のヤクザと話をつけるということがしばしば起った。

  ②、具体例 

   ・昭和40年代の前半の大阪場所中、時津風部屋の有望力士がミナミで酒を飲み、酔った勢いで長谷組(長谷一雄組長)幹部の車を蹴飛ばした。これに激怒した長谷組幹部ら数人は、「チョンマゲを切れ」と時津風部屋へ乗り込んだ。時津風親方(元横綱双葉山)に依頼されて佐々木が間に入り、このトラブルは解決された。

6、佐々木の排斥

 (1)、佐々木道雄とは

  ①、意義

   ・日本相撲協会はこの後佐々木氏を排斥しますが、佐々木氏がどのような人物であったのかも考察しておかなければならないでしょう。佐々木氏といえば、昭和50年(1975)から昭和53年(1978)に起った大阪戦争にかかわった事と、山口組を代表的する総会屋であった事であります。

  ②、大阪戦争


  ③、総会屋佐々木道雄

   ア)、自宅新築に際しての事件

    ・昭和47年(1967)、佐々木は自宅を新築した。この時佐々木が相撲関係者を呼んで盛大な祝宴を張ったことは前記したが、この際に、大手企業100社に1個1万円程度の置時計を送り付けて、企業との因縁を結んだ。直後、これを報道した読売新聞大阪社会部を、佐々木組組員が「佐々木組は総会屋でない」と殴り込みをかける事件につながった。

   イ)、長谷川工務店事件

    ・昭和46年(1966)、長谷川工務店の株式5万500株を取得した佐々木道雄は、名義書換え停止の前日になって、5万株を自己名義に、500株を子分50人名義に書き換えるように長谷川工務店に迫った。さらに、同社の幹事証券会社である大和証券本社広報部長を抱き込んでこの部長を長谷川工務店社長に訪問させ、「佐々木は山口組だ。株主総会で何をするかわからない」と恐怖心を植え付け、5万株を850万で買い取らせたほか現金2000万円を脅し取った。

   ウ)、その他

    ・その他佐々木は、富士銀行恐喝事件、大阪にある大手繊維メーカー恐喝事件、大洋ホエールズの横浜移転問題にも名前を出している。

 (2)、佐々木を嫌う大相撲関係者

  ①、横綱大鵬

   ・佐々木はよく5~10人の関取衆を連れて銀座、栄町(名古屋)、ミナミ、キタ新地、中洲、三の宮と夜の街を飲み歩いていた。昭和30年代終わり頃、後に大関前の山となる20歳直前であった幕下の清水を連れて夜の街を飲み歩き、横綱大鵬の親戚が経営する寿司屋に入った時、大鵬は清水に「キミ、何時かわかっているのかね」と、また佐々木にも「佐々木さん。こんな時間まで引っ張っては、若い相撲取りの明日のためにはなりませんよ」と𠮟りつけた。佐々木はこれはその通りと受け入れ、後に清水が大関となったことを喜んだ。

  ②、三保ヶ関親方(元大関増位山)

   ・佐々木が昭和57年(1982)に排斥される4年ほど前、三保ヶ関(元大関増位山)親方が「佐々木さん。もう(力士達とは)つき合いせんで下さい。迷惑します」と言われた。これに対しては佐々木は、三保ヶ関親方(元大関増位山)も姫路の湊組組長・湊芳治の世話になっていただろう、義理は欠かない方がいいと反発した。

 (3)、佐々木の排斥

  ・昭和57年(1982)9月30日、横綱千代の富士の結婚披露宴がホテル・ニーオータニで、相撲関係者をはじめ政財界の名士、芸能界など各方面から約3000人を集めて盛大に行われた。またこの結婚披露宴には、組関係者と分かる人間がたくさん呼ばれていた。その中の一人に佐々木もいた。日本相撲協会は、佐々木との付き合いから横綱千代の富士が所属する九重部屋の九重親方(元横綱北の富士)を降格と謹慎とする処分を下した。これによって佐々木は日本相撲協会から「絶縁」を突き付けられた。

 (4)、その後

  ・日本相撲協会から排斥された後も、佐々木はご祝儀をくれるからか、なお親方衆からは番付表や千秋楽の通知が送られ続けたという。佐々木は「春日野理事長が公言してはばからない「極道との縁切り」は、実は相撲界のタテ前で、ホンネは「お好きにどうぞ・・・・・」と、半ば放任。旧態依然としての体質の変わっていない」とする。

<参考文献>

 『相撲界の虚像と実像』(佐々木道雄、ジャパンネットワーク、1983)
 『撃滅 山口組VS一和会』(溝口敦、講談社、2000)

ヤクザと相撲 貴闘力

 Youtuberになられた貴闘力さんの「【感動】壮絶な相撲界入門の経緯〜若貴兄弟との出会い」で語られた相撲取りになるまでの話が面白いです。『ヤクザと日本』(宮崎学、筑摩書房 2008)を参考にヤクザの歴史を辿っていきながら、Youtubeの動画「吉田豪語る:貴闘力(大嶽親方)の相撲協会解雇・賭博・交友関係」も加味して、貴闘力さんのライフヒストリーを検討していきます。

1、相撲取りはかつてヤクザだった

 (1)、江戸時代のヤクザの形態

  ①、江戸時代のヤクザの第一形態 カブキ者

   ・カブキ者は、室町時代から戦国末期に至る動乱の時代に、百姓のフリーター兵である足軽を集めて集団をつくり、金のありそうな戦国大名を見つけると売り込みにいき、戦争では足軽軍団を統率し、雇い主と足軽とのトラブルを処理し、足軽たちに賃金を払い、戦闘の後の略奪や落ち武者狩りを指揮した。江戸時代になり戦争がなくなると、カブキ者たちは都市の無頼集団のリーダーとなっていったが、江戸幕府はカブキ者を取り締まり、慶長17年(1612)に大量に逮捕処刑をし、このカブキ者の系譜は途絶えた。

  ②、江戸時代のヤクザの第二形態 町奴

   ・町奴は、正保・慶安年間(1644~1652)に旗本の不良集団である旗本奴に対抗して、町人の中から形成されたものである。町奴は江戸時代初期に幕府が大名に課した普請の人夫出しをしていたが、人夫はやがて金納化し、さらに幕府による度重なる「奴狩り」によって打撃をうけ、元禄年間には解体された。

  ③、江戸時代のヤクザの第三形態

   ・江戸時代中後期になるとヤクザは、①火消人足、②目明、③角人(すもう)、④博徒及侠賊、⑤人入(労働力供給業者)、⑥金侠(金に物をいわせて侠的な行為をした裕福な町人集団)、⑦女侠(主に花街で遊客の侠客と組んで侠的な行為をした女達)となっていった。相撲取りもヤクザであった。

 (2)、近代ヤクザの形態

  ・日本が近代化し資本主義化していくと、沖仲士や炭鉱夫、そしてそれらの人達を束ねる労働力供給業者が生まれた。

2、貴闘力が相撲取りになるまで

 (1)、ヤクザだった父親

  ①、沖仲士

   ・貴闘力の父親は、小学校1年からずっと力仕事に従事しており、読み書きができなかった。神戸の港湾で沖仲士の仕事に従事していた時は、同じく沖仲士をしていた後に横綱となった三代目朝潮と並ぶ腕力自慢であった。貴闘力の父親は相撲取りになりたかったがなれなかったので、その思いを息子に託した。

  ②、雀荘

   ・貴闘力の父親は無類のギャンブル好きであり、最後の博徒・波谷守之とも仲が良く、波谷がよく家に来ていた。しかし、借金を多方に作り、貴闘力が小学6年生の時に夜逃げ同然で福岡から山口に逃げ、その後も仕事もせずにパチンコや麻雀ばかりやっていた。その後、福岡に戻り雀荘を始め、商売がうまかったので福岡で一番流行った雀荘となった。

 (2)、貴闘力の相撲入り

  ①、相撲との接点

   ・貴闘力はもともと野球をやっていたが、父親が山口に夜逃げしたことにより野球はやめてしまった。山口時代に父親と北の湖に2000円対100円どっち張るとかといったギャンブルを楽しんでいたおり、それで相撲に興味を持ちはじめ、小学校を卒業したら相撲取りになろうと決心した。父親に相撲取りになりたい旨を伝えると、もとから相撲取り志望だった父親はすぐに貴闘力を大関・貴ノ花利彰の元へ連れていき、半年間、後の若乃花貴乃花とともに過ごした。

  ②、相撲入り

   ・貴闘力は父親の雀荘で働き、稼いだ金を競艇へとつぎ込むといった中学時代を送っていた。この時に中学生のうちからギャンブルばっかりやってたらヤクザやるしかないぞと言われ、柔道が強い福岡の中学校に連れていかれた。ここで柔道で鍛え、中学卒業とともに藤島部屋へ入門した。

  ③、ギャンブル

   ・父親と同じく、貴闘力も競馬に単勝一点買いで数百万をつぎ込むほどのギャンブル好きであった。後援会を作るための費用を父親が使いこんでしまった時は、全財産10万円を握りしめて大井競馬場へ向かい10万円を400万円にし、そのお金で化粧まわしなどをすべて作ったという。しかしまたそのギャンブルに足元をすくわれ、平成22年(2010)、貴闘力(当時は大嶽親方)が琴光喜の野球賭博による借金を警察に相談したのがきっかけで野球賭博が発覚し、日本相撲協会を解雇となった。

3、興行とヤクザ

 ・貴闘力父子は、沖仲士、博徒、相撲取りとまさにアウトローの王道ですね。貴闘力は、「ギャンブルやってきたのはアホだから。賢かったらギャンブルなんかやらないよね。人生設計たててさ。でもそんな人生設計立ててるような人間の相撲を見たい?見たくないよね。明日死ぬかもしれないみたいな相撲を取ってお客さんに喜んでもらった方がいいし、アホはアホなりの人生があるからね」と言います。貴闘力が言うように、遊び人には華があり人を惹きつけるので、芸能、興行、格闘技などに向いているのでしょう。しかしまた、身を持ち崩す人が絶えないのも事実であります。

4、相撲部屋はヤクザな世界

 ・貴闘力さんが藤島部屋時代の話をされていますが、やっぱり相撲部屋はヤクザな世界です。





<参考文献>

 『ヤクザと日本』(宮崎学、筑摩書房 2008)

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