1、ヤクザはかつて社会運動のリーダーであった
(1)、意義
・社会運動のリーダーを調べてみるとヤクザが多いと指摘したのは、フリージャーナリストの猪野健治や歴史家の安丸良夫であった。ただし、例えば安丸の指摘は、マルクス主義歴史学の影響が強い1970年代の歴史学の世界では、「近世封建社会における社会的な異端者の存在形態を具体的に考察しようとするあまり、一揆指導者の一部を博徒や侠客と結びつけるのは、支配階級の偏見に導かれた謬見ではないか」と批判を受けた。しかし、江戸から明治にかけての社会運動のリーダーに博徒や侠客が多いことは事実である。
(2)、具体例
①、一揆の指導者の人物像
・安丸は一揆の指導者を、「個人的な腕力と経験的な知識と弁舌の能力によって、その地域の民衆から信頼されており、争いごとがあるとうまくそれをおさめたりするような地域社会の実力者」であり、「彼らは、既成の秩序の枠組みにははいりきらない人間であり、博奕をうったり腕力を競ったりもするが、どこか頼り甲斐のある侠気をもった男」であり、「民衆生活に密着したゆたかな経験的知識と巧妙な説得の能力をもち、ばあいによっては民衆にかわって命を賭けてわたりあってくれるような人物」であり、宮本常一のいう「世間師」的なものであり、史料には「博徒」「侠客」などと記載されているとする。
②、具体例
・享保8年(1723) 羽前国長瀞騒動 名子久助 「大あばれ者」
・宝暦11年(1761) 上田藩の一揆 半平 「侠客を以て郷里に聞」えた人物
・天保8年(1837) 能勢一揆 山田屋大助 「風呂敷包を背負ひて歩行廻るかと思へば、二尺計りの長脇指を横たへ、黒縮緬の羽織など着用し、大道一杯踏みはだかりて歩行廻」るような人物
・安政6年(1859) 伊那郡の一揆 伊助 侠客
・慶応2年(1866) 羽前国村山地方の世直し一揆 横尾栄蔵 「侠客」
2、秩父事件
(1)、意義
①、博徒侠客論としての秩父事件
・明治17年(1884)に埼玉県秩父郡で自由民権運動の激化事件として有名な秩父事件が起きた。「自由民権運動の最高形態」とも「百姓一揆の最高形態」とも評価があるが、もう一つ博徒侠客論としての秩父事件がある。秩父事件のリーダー田代栄助は「侠客」であり、この事件には多数の博徒侠客が加わった。
②、秩父事件の主要メンバー
総理 田代栄助 「侠客」博徒か?
副総理 加藤織平 博徒親分
会計長 井上伝三 自由党員
同 宮川津盛 祠掌
(2)、秩父事件の背景
①、背景
・一般的に秩父事件は、①生糸相場の暴落、②埼玉県の地租増徴、③地租の現物納から金納によって、米作と養蚕で生計を立てていた秩父地方の農民が困窮したと説明される。しかし、もう一つの要素がある。埼玉県令・吉田清英は秩父事件の原因を「高利貸ナル者其一」と説明する。すなわち、博奕と高利貸である。
②、秩父の高利貸
ア)、借りる側の事情
・埼玉県令・吉田は、「高利貸者ノ金ヲ借用スル輩ハ、賭博ヲ始ニテ之ニ次ノ者モ遊情ニシテ、不正ノ事ニ失敗シ之ヲ補ハンガ為ニ一時高利ノ金ヲ借ル者ニシテ賭博者同等ノ懶惰(らいだ)輩ナリ」とする。すなわち、現在でも娯楽として競馬、競輪、パチンコなどのギャンブルを楽しむ人は多いが、秩父地方の農民も博奕を楽しんでいた。東京日日新聞(明治17年11月25日号)によると「秩父ノ辺ニハ従来世ニ長脇差ト唱ヘタル不良ノ徒多クシテ頗ル治メ難シ」とある。「長脇差」とは博徒のことであるので、秩父地方では特に博奕が盛んであったようである。中には入れ込んでしまう者もおり、高利貸から借金を作った。こういった者は、生糸相場の暴落が起こるとすぐに経営が傾いてしまう。質入れした田畑は高利貸しに取られ、貧農に没落したり、狩猟や山林伐採などの雑業で糊口をしのぐようになってしまったのである。
イ)、貸す側の事情
・秩父地方の高利貸は、
①、利率
・トイチ(10日に1割の利息)
②、利息の天引き
・10円借りると切金と称して2,3円を天引きした。
③、なるべく元本の返済を拒む
・元金が返済されてしまうと利息をとることができなくなってしまうので、高利貸は借主が返済をしに行くと故意に居留守を使い返済金を受け取らないようにした。
といった方法で暴利をむさぼった。
(3)、秩父事件のリーダー・田代栄助は何者か
①、田代栄助は何者か
ア)、「侠客」田代栄助
・東京日日新聞(明治17年11月25日号)によると「栄助という男ハ大宮郷二百九十三番地に住む平民にて、平素農を業とし資産も乏しからず且つ一郷の望みを有する者にて、常に他人の貸借上の事及び婚姻の媒介或ハ父子兄弟不和など差縺(さしもつれ)があれバ自ら立ち入りて調和する等の事多きを以て郷間みな之を称するに親分を以てするに至れり」とある。よって、「侠客」であり、安丸が指摘する一揆の指導者像に適合する人物であるが、博徒であったかどうかは不明である。他方、読売新聞(明治17年11月18日)では田代を「博徒にして侠客風」と称している。
イ)、田代に前科はあるのか
・東京日日新聞(明治17年11月25日号)では「同人の履歴を聞くに別段悪業を働きたる事もなく唯明治七年中告上不実の科により懲役六十日の刑に処せられしものなり」とする。しかし、困民党乙副大隊長・落合寅市の手記には、田代をリーダーに担いだ経緯として、田代は以前高利貸・原島亥之八の首を切り落としたからであるという話がある。落合達が酒席を共にしながら田代にこの話をすると、田代は「これで亥之八を斬った」と刀を示したという。
②、任侠としての田代栄助
・事件後逮捕された田代は、尋問中にリーダーに推された経過について「自分ハ性来強ヲ挫キ弱ヲ扶クルヲ好ミ、貧弱ノ者便リ来ルトキハ附籍為致其他人ノ困難ニ祭シ、中間ニ立チ仲裁等ヲ為ス事実ニ十八年間子分ト称スル者二百有余人今般井上伝三等ノ目論見タル四ケ条一貧民ヲ救フノ要用ナルヲ信シ同意を表シタル処総理ニ推サレタリ」と供述した。「強きを挫き弱きを助ける」を任侠というのであれば田代は任侠であり、万年東一の言う「損を平気でできるのが任侠」を任侠と言うのであれば、やはり田代は任侠である。明治政府に反乱を起こしても勝てるわけはない。極刑になるのが関の山である。しかし、田代は農民たちを助けるために損なリーダー役を受け入れ、そして絞首刑となった。田代を動かしたのは、自由民権の思想ではなく、任侠の精神だったのかもしれない。
3、五菱会事件
(1)、意義
・秩父事件から約120年後、平成15年(2003)前後に五代目山口組五菱会が中心となった闇金が社会問題となった。
参考)、ヤクザと経済 ヤミ金
(2)、システム
①、意義
・比較すればわかるように、悪徳金融の手法は、秩父事件における秩父の高利貸と五菱会でほぼ同じである。しかし、秩父事件と五菱会事件では明確な違いがある。それは、秩父事件では悪徳金融にヤクザがリーダーとなって立ち向かっていった。しかし、五菱会事件では、その悪徳金融にヤクザ自体がなった点である。
②、システム
ア)、利率
・ヤミ金の利率は、トイチ(10日に1割)からどんどん上がっていき、トサン(10日で3割)、トゴ(10日で5割)、トナナ(10日で7割)となっていった。
イ)、利息の天引き
・ヤミ金は、客に貸し付ける時に、金利は前払いされる。例えば、4万円貸し付けたとすれば、金利の前払いとして2万円が引かれ、実際には2万円しか渡されない。正確には、その他書類代や審査代などの名目で数千円がさらに差し引かれる。
ウ)、なるべく元本の返済を拒む
・返済日に全額返済できない客は、ジャンプといって利息だけ支払って返済を先延ばしにすることができる。元本が返済されてしまうと利息がとれなくなってしまうので、ヤミ金業者はなるべく客にジャンプさせようとした。
エ)、少額を貸し付ける
・高額を貸し付けると、さすがに客も高金利で返済できないのではないかとの危惧感を抱いてしまうので、貸し付ける限度額は10万円以内であった。少額であれば、たとえ高金利でも客は返済できるであろうと思うからである。
オ)、多重債務者をターゲットとする
・五菱会は、最初は主婦に貸し付けていたが、その後ソープ嬢やソープ店の男性従業員にへと拡大し、さらには名簿屋から買い集めた多重債務者リストをもとに多重債務者へと貸し付けていった。一般的に、ヤミ金業者は多重債務者を狙って貸し付ける。
4、衰退するヤクザ
・五菱会はその後、美尾組を経て、平成19年(2007)に清水一家と改称された。しかし、江戸から明治を生きた清水次郎長に端を発するこの名称に変更することは、地元の反発が強かった。2019年の調査で、指定暴力団の組員数は13,800人、非指定団体を含めても14,400人とヤクザの数は最低を記録した。これからも人数を減らしていくだろう。ヤクザは一貫して国家の法に反することをやってきたが、大衆の支持は一定数あった。秩父事件の田代栄助の下に集い蜂起に参加したのは8,000人とも10,000人とも言われている。しかし、今のヤクザに大衆の支持はない。
<参考文献>
『ヤクザと日本人』(猪野健治 筑摩書房 1999)
『新装版 ヤクザ崩壊 半グレ勃興 地殻変動する日本組織犯罪地図』(溝口敦、講談社、2015)
「民衆運動の思想」『日本思想大系〈58〉民衆運動の思想』(安丸良夫 岩波書店 1970)
『アウトローの近代史―博徒・ヤクザ・暴力団』(礫川全次 平凡社 2008)
<参考文献>
『ヤクザと日本人』(猪野健治 筑摩書房 1999)
『新装版 ヤクザ崩壊 半グレ勃興 地殻変動する日本組織犯罪地図』(溝口敦、講談社、2015)
「民衆運動の思想」『日本思想大系〈58〉民衆運動の思想』(安丸良夫 岩波書店 1970)
『アウトローの近代史―博徒・ヤクザ・暴力団』(礫川全次 平凡社 2008)