稗史

社会の片隅で生きる人達の虚実織り交ぜた物語

 ・ヤクザと経済

ヤクザと経済 総会屋

1、意義

 (1)、総会屋とは

  ・明治32年(1899)に商法が施行された。株式が公開されて、株主に営業の概況と財務諸表の報告を義務付けられた企業は、明治から大正にかけて株主総会で攻撃的発言を繰り返す会社ゴロや総会ゴロに手も焼き、自衛手段として株主総会前に、彼らに小遣銭を渡すようになった。このような構造を組織的に実施しようとして生み出されたものが「総会屋」である。すなわち、企業から与党総会屋に、総会や総会屋対策への資金が丸投げされ、その資金を与党総会屋が野党総会屋へ配分していくという形で資金が流れていった。

 (2)、総会屋は必要か

  ・山口組系後藤組組長・後藤忠政は、キャノンが大分市内に建設した工場など、複数のキャノンの工事に絡み、工事受注への口利きや斡旋の見返りに得た手数料などの法人所得約37億円を隠し、約11億円の法人税の支払いを免れたとして、キャノン会長・御手洗富士夫と昵懇の間柄のコンサルタント会社「大光」社長・大賀規久ら7人が法人税法違反(脱税)の容疑で逮捕起訴された事件について、「昔みたいな総会屋がいたら、御手洗みたいなチンピラは、経団連の会長どころか、キャノンの会長もとっくに辞めさせられていたよ。(中略)そういう意味では、御手洗みたいな経営者にとっては、(昭和56年(1981)の総会屋への利益供与を禁止した)商法改正様々だったな。商法が改正されたから(株主総会に)社員株主ガンガン入れて、「異議なし!」「議事進行!」って言わせりゃ、シャンシャンで逃げ切れる。そう考えれば、(小川)薫や藤野(康一郎)みたいな(総会屋の)人間は、やっぱり「必要悪」だったんじゃないのか。(中略)薫や藤野がプロを100人ぐらい引き連れて(株主総会)に乗り込んで、「お前、それは特別背任だろう!」ってやれば、御手洗なんか一発(で会長辞任)だったな」とし、総会屋は必要悪であるとする。

2、ヤクザと総会屋

 (1)、初期の頃の総会屋

  ・初期の頃、総会屋となったのは新聞記者、相場師、民族運動家、博徒などであった。この頃のヤクザ系の総会屋としては、武部申策が有名である。

 (2)、第一次頂上作戦後

  ①、意義

   ・昭和39年(1964)から昭和44年(1969)まで行われた第一次頂上作戦、昭和46年(1971)以降の第二次頂上作戦によって、ヤクザは合法企業の経営が難しくなっていった。ヤクザは非合法ではあるが高利潤のビジネスへと向かっていっゆき、昭和45年(1965)以降から顕著に、総会屋にヤクザがどんどん参入してくるようになった。

  ②、王子製紙事件

   ・昭和46年(1966)、王子製紙の株主総会で、新興総会屋である小川薫などの広島グループと既存の総会屋である嶋崎栄治が乱闘を起こした。後日、小川には広島の共政会二代目・服部武会長が、嶋崎には松葉会の菊地徳勝元会長が後見人となって、手打ちを行った。つまり、この頃から総会屋のバックにヤクザがつくようになったのである。

 (3)、商法改正

  ・昭和56年(1981)商法が改正され、①単位株制と、②利益供与の禁止が設けられ、翌昭和57年(1982)に施行された。この結果、全国の総会屋は8000人、総会屋に流れる金は年間421億円にも及んでいたものが、その数は激減し、名簿上1200人、実質では200~250人ほどになった。毎年何人か利益供与で逮捕される程度で、忘れ去られる存在となっていった。

 (4)、バブル期前後

  ・1980年代後半から1990年代前半のバブル期前後の頃、総会屋は暴力化していった。ヤクザの組員、企業舎弟であったり、またヤクザではなくてもヤクザを後ろ盾にしていたり、元ヤクザであったり、たいていがヤクザと関係を持っていた。

 (5)、総会屋の壊滅
  
  ・現在、総会屋はほぼ壊滅した。
 
3、山口組と総会屋

 (1)、総会屋への進出

  ①、意義

   ・総会屋に強いヤクザは住吉会、松葉会、共政会などであった。第一次頂上作戦以後、山口組系で総会屋へと進出したのは、佐々木道雄(新日本政経研究所)、井志組舎弟頭・末次正宏(末次綜合研究所)、白神英雄(八紘会)などであった。また、総会屋の嶋崎栄治、亀掛川清、小川薫などが、山口組を後ろ盾にしていた。ただし、大企業の本社は東京にある場合が多いので、関西に拠点を持つ山口組は総会屋稼業ではなかなか力を持てなかった。

  ②、具体例

   ・昭和47年(1967)、佐々木道雄は自宅を新築した際に、大手企業100社に1個1万円程度の置時計を送り付けて、企業との因縁を結んだ。直後、これを報道した読売新聞大阪社会部を、佐々木組組員が「佐々木組は総会屋でもない」と殴り込みをかける事件につながった。

   ・昭和46年(1966)、h工務店の株式5万500株を取得した佐々木道雄は、名義書換え停止の前日になって、5万株を自己名義に、500株を子分50人名義に書き換えるようにh工務店に迫った。さらに、同社の幹事証券会社の広報部長を抱き込んでh工務店社長を訪ねさせ、「佐々木は山口組だ。株主総会で何をするかわからない」と恐怖心を植え付け、5万株を850万で買い取らせたほか現金2000万円を脅し取った(h工務店恐喝事件)。

   ・富士銀行恐喝事件

   ・大阪にある大手繊維メーカー恐喝事件

   ・大洋ホエールズの横浜移転騒動

 (2)、バブル期前後

  ①、意義

   ・1980年代後半から1990年代前半のバブル期前後の頃、総会屋は暴力化していった。この頃、総会屋の世界で一番力を持っていたのは、住吉会系の論談同友会であった。他方、山口組で総会屋と関係があったのは、後藤組、真鍋組、井奥組、倉本組などであった。

  ②、具体例

   ・後藤組組長・後藤忠政は、小川グループの小川薫や、藤野事務所の藤野康一郎と社交して、彼らが同業者や他のヤクザとトラブったら相談に乗ったり、力を貸してたりしていた。

   ・児玉グループの児玉栄三郎は、真鍋組の幹部であった。暴力総会屋として有名であったが、平成9年(1997)に山口組本部の命により、児玉は真鍋組から絶縁され、山口組の後ろ盾を失った。

   ・日本會民主同盟は、井奥組系であるとされる。

   ・共論会は、倉本組系であるとされる。

<参考文献>

 『撃滅 山口組VS一和会』(溝口敦、講談社、2000)
 『カネと暴力と五代目山口組』(溝口敦、竹書房、2007)
 『総会屋の100年』(神田豊晴、リッチマインド、1991)
 『憚りながら』(後藤忠政、宝島社、2010)



バブル経済と経済ヤクザ

1、意義

 ・バブル経済の時期、地上げや株取引で資産を増やしていったのが「経済ヤクザ」であり、その代表は当時山口組の若頭であった宅見勝である。そして、裏社会の住人達を表の経済に引き込んだのが銀行や不動産会社などの一流企業であった。

2、どのようにして「経済ヤクザ」は儲けていたのか?

 (1)、バブル経済

  ・巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、ドル高を是正するためにプラダ合意を締結した。これによって日本は輸出産業が打撃を受けたので、内需を拡大させるために日銀は公定歩合を引き下げた。銀行から融資を受けやすくなった企業の中には、土地価格が急速に上がったことに目をつけて、土地売買にのめり込むところも多くあった。

 (2)、ヤクザを利用した大企業達

  ①、ヤクザを利用した大企業達

   ・バブル時、土地の価格は刻々と上昇していたので、土地をまとめるのにわざわざ裁判を使って時間をかけてまとめるよりもヤクザを利用して手っ取り早く地上げをした方がよかった。短期間で複雑な土地の権利関係をまとめる上でヤクザが利用されてたのである。

  ②、資金洗浄

   ・このような地上げによって獲得した資金は、株取引で資金洗浄された。例えば、平成2年には繊維製品大手「クラボウ」の株を、宅見組系の不動産会社が買い占めて事実上筆頭株主となり、その後の売却益によって多額の資金が宅見組に流れている。

 (3)、宅見勝の力の源泉

  ①、「経済ヤクザ」の代表的存在

   ・宅見は、フロント企業を傘下に置き、検事出身の弁護士や仕手グループなど豊富な人脈を持っていた。「日経新聞を読んでシノギのネタを探さなあかん。これからは税金を払うような稼業が必要や」と組員に助言をしていた。宅見組は大阪であったが、バブル期にはさかんにバブルで湧いている東京へ進出していった。

  ②、宅見勝の力の源泉

  ・宅見は五代目山口組組長・渡辺芳則の擁立のために中心的は働きをし、山口組のナンバー2である若頭まで登りつめた。その力の源泉はこのような経済活動によって獲得した豊富な資金力であった。

3、バブルの崩壊とその影響

 (1)、バブルの崩壊

  ・平成3年(1991)地価高騰を抑えるために公定歩合を引き上げや不動産融資の総量規制が実施されると、不動産価格や株価は急落した。バブルの崩壊であり、この後、ヤクザと大企業との不祥事が相次いで判明する。

 (2)、不祥事

  ・野村証券、日興証券と、指定暴力団稲川会元会長・石井進との取引が発覚。石井らは東急電鉄の発行済み株式数の2%強まで買い進め、株を担保に両証券系列の金融会社から360億円の融資を受けたことも判明した。

  ・イトマン事件

  ・阪和銀行(経営破綻後に解散)副頭取射殺事件

  ・住友銀行(現・三井住友銀行)名古屋支店長射殺事件

 (3)、暴力団対策法の施行

  ・平成4年(1992)、山一抗争やバブル時代に表経済の中にシノギの手を広げたことの反発から、暴力団対策法が施行された。これによって組を離脱する組員が続出し、ヤクザは地下に潜って活動をするようになる。

<参考文献>

  産経新聞「ニッポンの分岐点」「暴力団(2)経済ヤクザ 企業に寄生したバブルの寵児」

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