1、三浦清志氏のビジネスはかつての後藤組のシノギ
(1)、三浦清志氏
①、意義
・2023年3月7日、三浦瑠璃氏の夫で投資会社を経営する三浦清志氏が、業務上横領の疑いで東京地検特捜部に逮捕されました。この中で、三浦氏は太陽光発電をめぐって複数のトラブルを抱えていたことがわかりました。
②、引用
「太陽光業者の男性:「(三浦容疑者は)非常に高圧的。あとは、知的な怖さがあります。(三浦容疑者に)ぼったくられたなと。困るどころではない、会社が飛ぶレベルです」
こう話すのは、かつて宮城県内の太陽光発電事業に関わっていた男性です。5年前、仙台市から西に30キロほどの場所にある山林で、太陽光発電事業を行おうと準備をしていたところ、三浦容疑者が突然、隣の土地を買い占めてきたといいます。
太陽光業者の男性:「ここが県道で、横の土地ですね。ここを通らないと電線をつなげない。ここを三浦さんが買って通さない。通したいんだったら、いくら払えよと」
「(Q.どのくらいの金額で買ってくれと?)もともと、市場であれば1億円くらいで土地を買収できるものを約10億円。10倍です」
「(Q.それは太陽光業界ではあること?)基本的にはあまりないです。明らかにゆすりみたいなものですよね」
送電線を通すために必要不可欠な隣の土地を、市場のおよそ10倍の値段で買い取れと要求してきたという三浦容疑者。男性がもっと値段を下げてくれるよう、会社に問い合わせると…。
三浦容疑者:「10億円で買えないなら、通行料を払ってください。(通行料を)年間で数千万円は頂きます」
男性は泣く泣く事業を諦めざるを得ませんでした。」
③、考察
・三浦氏は、太陽光発電事業を行っていた業者の隣りにある、電線をつなげるために必要な土地を突然買い占めて、市場価格の10倍で売りつけようとし、さらに買えないというと、通行料を払えと迫ってきたようです。
(2)、後藤組
①、意義
・三浦氏のこのビジネスをどこかで見たことあるなと思ったら、『憚りながら』で後藤忠政氏が語っていたかつての後藤組のシノギでした。
②、引用
ア)、ザ ナショナルカントリークラブ
「櫻井さん(注、廣済堂の創業者・櫻井義晃氏)はもともと、岸(信介・元首相)さんの私設秘書みたいな存在で、平相の事件(平和相互銀行の不正経理事件)の時に、岸さんの下で(事態収拾に)動いたんだ。それで岸さんが平相に口を利いて出させた金で、廣済堂が作ったゴルフ場が、今も俺の地元にある「ザ ナショナルカントリークラブ」(富士宮市)だ。廣済堂がこのゴルフ場を作る時に、俺の知り合いとトラブルになったんだ。知り合いがゴルフ場の入り口(の土地)、幹線道路沿いのいい所を押さえていたもんで。俺がまだ三十五、六(歳)、伊堂組の枝(三次団体)の時だ。そしたら櫻井さんと仲が良かった神戸や大阪の直参の連中が出てきて、俺に「話をしよう」と言ってきたんだ。その直参2人を相手に、伊堂の枝だった俺が半年ぐらい、丁々発止をやり合ったんだ。ゴルフ場の完成が遅れるぐらいにね。」
イ)、バブル時代
「地産の竹井さん(注、竹井博友氏)と知り合ったのもゴルフ場がきっかけだ。地産のゴルフ場(富士チサンカントリークラブ)の横の土地に、ウチの若い衆が豚小屋を建てたことがあったんだ(笑)。それで竹井さんとは、3ヶ月近くやり合ったんだけど、何かお互い波長が合ってさ(笑)。終いには仲良くなっていた。俺が四十六、七(歳)の頃だったかな。この竹井さんと知り合った頃が、ちょうどバブルの入り口みたいなもんだった。バブルの時は、ゴルフ場が次から次にできたからな。そのゴルフ場のちょうど入り口に当たる土地なんかを持ってたら、何倍にも跳ね上がった時代だ。そしてこの頃から、廣済堂や、地産、武富士とか東京の企業に入り込んでいったんだ。」
③、考察
・廣済堂のザ ナショナルカントリークラブの事件は後藤氏が35、6歳の頃だから1977年か1978年頃、地産の富士チサンカントリークラブの事件は後藤氏が46、7歳の頃だから1988年か1989年頃でしょうか。ゴルフ場が建設されてる時に、その入り口の土地を買い占めて、ゴルフ場を建設してる業者に高く売りつけるというのが後藤組のシノギのひとつでした。このゴルフ場を太陽光発電に置き換えれば、三浦氏のビジネスと同じになります。
2、太陽光発電とヤクザ
・最近はカタギがかつてのヤクザのようなシノギをやるようになったのかと思ったら、猫組長によると、三浦氏は名神会から3000万円を借り入れたりとヤクザとのつながりがあったそうです。バブル時代のゴルフ場開発のノウハウが、現在の太陽光発電に生かされているのですね。
<参考文献>
「三浦瑠麗氏に直撃「HP見て」…逮捕の夫は土地トラブルも “市場10倍”買い取り要求か」(tv-asahi、20230309)
『憚りながら』(後藤忠政、宝島社、2010)