稗史

社会の片隅で生きる人達の虚実織り交ぜた物語

 ・日本部落史

日本部落史(39) 現在の部落問題

1、「部落差別が解消された」とはどういう状態なのか

 (1)、政府

  ・政府が部落差別が解消された状態について明確に述べた見解はない。

 (2)、部落解放同盟

  ・平成23年(2011)の第68回部落解放全国大会で「部落解放が実現された状態とは、部落民であることを明らかにしたり、歴史的に部落差別を受けた地域が存在していても、何らの差別的取り扱いや排除・忌避を受けることなく人間としての尊厳と権利を享受し、支障なく自己実現ができる社会環境になることである」と決定した。

 (3)、全解連

  ・昭和61年(1986)の第16回定期大会で「部落問題の解決すなわち国民融合とは、

   ①、部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること

   ②、部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会で受け入れられない状況がつくりだされること

   ③、部落差別にかかわって、部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること

   ④、地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること

   である」と決定された。

2、新たな差別の形態「デジタル差別」の出現

 (1)、意義

  ・同和地区に対する特別対策終了後、インターネットをはじめとする情報技術の発展もあり、人々のライフスタイルは大きく変わった。それに伴い、差別の形も変わった。従来のように対面で差別的な発言をするのではなく、ネット上で匿名で一方通行で差別的な書き込みをし、さらにその書き込みが尾びれがついてあることないことどんどんと拡散していく形態である。これを「デジタル差別」という。

 (2)、内容

  ・インターネット上の掲示板などに匿名で、同和地区や同和地区出身者に対する誹謗・中傷、同和対策に対する批判などが書き込まれるようになった。

  ・かつての被差別部落の場所を示していると考えられる古地図の画像など、偏見や誤解につながる情報がインターネット上に流れるようになった。

  ・同和問題についての正しい知識のない若い世代を中心に、これらの情報の正否を判断できないまま受け入れてしまうケースもみられるようになった。

3、部落問題の人権一般への解消

 (1)、「部落民」とは何か

  ・同和対策事業の推進などによって部落民が部落外へ移動したり、部落外の人と結婚したりする機会が増えてくる。これに対して、「部落民」とは何かという「部落民」としてのアイデンティティーが問題となってきた。

 (2)、他の差別されている人々との連帯

  ・従来、差別の歴史はせいぜい被差別部落民、女性、アイヌ等しか取り上げられず、個別史としてしか語られてこなかった。しかし、在日韓国・朝鮮人、アイヌ、沖縄、障害者、ハンセン病回復者、性同一性障害者、同性愛者など広範な人々に視野が及び、さらに差別の全体的な構造としての歴史が語られるようになった。

 (3)、部落問題の人権一般への解消

  ①、行政側

   ・行政側において同和対策事業が終焉した後は、同和対策が人権対策に、同和教育が人権教育にとってかわられた。

  ②、民間

   ・大阪にある部落解放研究所は、平成10年(1998)に20周年を機に部落解放・人権研究所と名称を改め、機関紙も平成14年(2002)に『部落』から『人権と部落問題』に改題された。

4、部落史の見直し

 (1)、「政治起源説」の克服ないし再検討

  ①、政治起源説とは

   ・被差別部落は江戸時代に権力が民衆支配の道具として意図的に作り出したものであるとする説。井上清は、独占資本が部落差別を利用・再生産してきたと指摘し、教育の現場でも広く受け入れられた。

  ②、社会的意味

   ・政治権力が作り出したものが被差別部落とするので、行政闘争の展開や同和対策審議会の答申を引き出すうえで都合のよい説であった。

  ③、問題点
  
   ・同和対策事業が進展しても、民衆の差別意識はなかなかなくならなかった。よって、歴史をさかのぼって人々の民衆意識を問うことが必要となった。具体的には、中世の賤民に向けられた差別意識やケガレ観などの議論である。

 (2)、被差別部落の「ゆたかさ」

  ①、従来の被差別部落研究

   ・従来の被差別部落研究は、被差別部落がいかに権力によって差別されてきたのか、いかに「みじめ」で「悲惨な」生活を送っていたのかが強調されがちであった。

  ②、被差別部落の「ゆたかさ」

   ・網野義彦の研究に触発されて、被差別部落を一種のアジールとみなし、被差別部落がもつ共同体の「ゆたかさ」を前面に押し出そうとする試みがなされるようになった。

  ③、良い点と問題点

   ・被差別部落の「ゆたかさ」を伝えることによって、被差別部落出身の者は自分の地域に誇りが持て、部落外の者も被差別部落の良い面を知って偏見を取り除くことができるのが良い点である。他方で、被差別部落がいかに差別をされてきたのかを伝えにくくなるのが問題点である。

<参考文献>

『近代部落史』(黒川みどり、平凡社、2011)
人権啓発ビデオ 人権アーカイブシリーズ「同和問題 ~過去からの証言、未来への提言~」

日本部落史(38) 部落地名総鑑事件

1、意義

 ・被差別部落の人々は就職差別に一貫して苦しんできた。そのような中で、昭和40年代後半(1970年代)に入ると、同和地区出身者に対する就職差別反対運動が起こってきた。

2、応募用紙の規格化
 
 ・企業への応募用紙(いわゆる社用紙)には、本籍や出生地のほかに思想、宗教、支持政党など就職差別につながるおそれがある項目が多く含まれていた。そのため、昭和46年(1971)に近畿各府県の関係機関が協議をして、これらの項目を削除した近畿高等学校統一応募用紙を作成した。この取り組みはその後の全国統一応募用紙の制定や、日本工業規格、いわゆるJIS規格化へと広がっていった。

3、部落地名総監事件

 (1)、事件

  ①、意義

   ・昭和50年(1975)、興信所「企業防衛懇話会」の経営者が、全国の被差別部落の地名・所在地・戸数・職業などを掲載した『人事極秘 特殊部落地名総監』を販売した。この書籍の売り込みチラシが部落解放同盟大阪府連に知られたことにより、「地名総監」の存在が明るみに出た。この書籍は、合計53冊が販売されており、購入先は大企業が多かった。その他「地名総監」は、『全国特殊部落一覧』『全国特殊部落リスト』『大阪府下同和地区概況』『日本の部落』など昭和53年(1978)までに9種類が確認された。

  ②、明るみに出た就職差別

   ・企業は、部落の子は乱暴で職場で仲間とゴタゴタを起こす、被差別部落は犯罪の温床である、被差別部落民の背後に運動団体が見えかくれするなどという理由で、応募書類の住所から同和地区出身者かどうかを割り出すために「地名総監」を利用していた。

  ③、どのようにして作成されたのか

   ・これらの「地名総監」は、昭和11年(1936)に中央融和事業協会が作成した『全国部落調査』が原典であった。この資料は、部落問題研究者には歴史的資料として活用されてきたものである。

 (2)、影響

  ①、販売者

   ・販売した経営者は、部落解放同盟の糾弾を受け、販売された書籍は法務局が回収して焼却処分した。

  ②、企業

   ア)、同企連・企同連の結成

    ・部落解放同盟は、「地名総監」を購入した企業の責任を求めた。この結果として、大企業は「同和問題企業連絡会」(同企連)に、中小企業は行政主導で結成された「企業同和問題推進連絡協議会」(企同連)に加盟することとなった。これらの団体は、部落解放同盟と企業を連携させる役割を持ち、定期的な部落問題に関する研修が行われるようになった。

     cf.同企連には、トヨタ、NTTなど大企業が加盟しており、年間数十万円と高額であり。他方、企同連は年間数千円程度ですむ。

   イ)、同和枠

    ・企業が部落民を優先雇用する「同和枠」が行われるようになった。

  ③、旧労働省

   ・旧労働省の職業安定局雇用促進課は、企業に同和問題の正しい理解と公正な採用を促した。また、「企業内同和問題研修推進員」という制度も作られた。

  ④、「どこが部落か」がタブーとなる

   ・事件以前は、部落の場所を隠さなければならないとう考えはなかったが、この事件以後は「どこが部落か」は完全にタブーとなった。これ以後も、部落史研究者の塩見鮮一郎や広島法務局人権擁護部長が「地名総監」自体には問題がなくこれを就職差別に使うことが悪いと発言をしたが、部落解放同盟は「地名総監」は差別目的以外に利用価値はない差別図書であるとして批判した。

<参考文献>

『近代部落史』(黒川みどり、平凡社、2011)
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)
人権啓発ビデオ 人権アーカイブシリーズ「同和問題 ~過去からの証言、未来への提言~」

日本部落史(37) 狭山事件

1、事件

 ・昭和38年(1963)に、埼玉県狭山市で高校一年生の少女に対する強盗強姦殺人事件が起こった。被差別部落出身の貧農・石川一雄が別件逮捕の上、捜査官の誘導によって自白する。第一審で死刑判決が出た後、控訴審において石川は犯行を否認した。東京高裁は死刑判決を破棄して無期懲役を宣告し、最高裁判所も上告を棄却したことから、昭和52年(1977)に判決が確定する。その後、再審請求や特別抗告が行われたが、それらはすべて棄却された。

2、司法闘争

 (1)、冤罪疑惑

  ①、警察の焦り

   ・事件の一ヶ月前に起こった村越吉展ちゃん事件で、警察は犯人を取り逃がすという失態を演じており、信用回復のために犯人逮捕に焦っていた。よって、別件逮捕により捜査がはじめられ、「自白すれば10年で出してやる」と石川を誘惑して自白を引き出し、その自白に基づいて裁判が行われた。さらに、被害者の所持品であった万年筆が石川の家で何度も行われた家宅捜索でも見つからなかったのに、後の家宅捜索で比較的目につきやすい場所から発見されるという不自然な事を起こった。

  ②、被差別部落は犯罪の温床という認識

   ・当時は、被差別部落は犯罪の温床であるという偏見があった。よって、被差別部落の人間が犯人として疑われた。

 (2)、運動

  ①、運動の盛り上がり

   ・昭和40年(1965)に同和対策審議会の答申が出され、昭和44年(1969)に同和対策事業特別措置法が制定されと、この頃は部落解放運動の高揚期であった。よって、部落解放運動に参加する入り口が狭山闘争となり、運動が盛り上がった。部落解放同盟は、昭和44年(1969)の第24回全国大会以後、「権力側の、部落に対する差別と偏見によって、集中的に部落に攻撃をかけ、世間にある差別意識のうえにたって行われたもの」であるとして、本格的に運動を始めた。

  ②、左翼過激派が加わる

   ・狭山闘争には、中核派や革命的労働者協会(革労協)が加わり、中核派が浦和地裁に火炎瓶を投げ込んだり、革労協が東京高裁で有罪判決を下した裁判官をバットで襲撃したり、過激な事件が起こった。これを嫌って、共産党が狭山闘争から離れた。

3、影響

 (1)、狭山同盟休校

  ・部落解放同盟の政治的活動が学校教育に持ち込まれるようになった。事件が最高裁に係属した昭和51年(1976)には、石川の無罪を訴えて、解放同盟員の子どもを一斉に学校を休ませる「狭山同盟休校」が、全国数万人規模で行われた。また、道徳や同和教育の中で、「石川一雄さんは無罪だ」と教えたり、子どもたちに「狭山差別裁判糾弾」などと書かれたゼッケンを付けて登校させるなどが行われた。

 (2)、「部落民宣言」へ

  ・狭山同盟休校によって、誰が部落民の子なのかが学校に知れ渡ってしまった。これ以後、部落解放同盟の強い影響を受けた地域においては、部落の児童・生徒がクラス全員の前で自分の住んでいる場所は部落であるという宣言する「部落民宣言」あるいは「立場宣言」と呼ばれる教育が行われるようになった。

<参考文献>

『近代部落史』(黒川みどり、平凡社、2011)
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)


日本部落史(36) 同和教育

1、「融和教育」「同和教育」「責善教育」「民主教育」「福祉教育」

 (1)、意義

  ・被差別部落に住む人たちの中には小さいときから子守奉公や家の手伝いなどで学校に行きたくても行けない人が多くいた。教育をうけないがために社会に適応できず貧困の連鎖が起きないように、子どもだけではなく親に対しても教育が行われた。このような取り組みは明治期から始まり、「融和教育」「同和教育」「責善教育」「民主教育」「福祉教育」などと呼ばれた。

   cf.神戸市の番町部落で育った加茂田重政氏は字の読み書きができず、刑務所で覚えたと語っています。



 (2)、内容

  ・部落の子どもの学力向上、生命の尊重、健康の保持、市民的権利についての理解、合理的・科学的な考え方の育成、望ましい人間関係の情勢などが教育の内容となった。教育基本法14条2項に教育の政治的中立が定められているので、特定のイデオロギー教育は施されず、また部落問題を子ども達に教えるための特別な授業も行われなかった。

2、「解放教育」

 (1)、意義

  ・昭和38年(1963)に、埼玉県狭山市で高校一年生の少女に対する強盗強姦殺人事件が起こり、被差別部落出身の貧農・石川一雄が逮捕された。ここから狭山闘争が始まる。この狭山闘争以後、同和教育は大きく変わり、一部の地域では学校や教育委員会と部落解放同盟が連携し、あからさまに部落解放同盟のイデオロギーを取り入れた特別な授業が行われるようになった。この「部落教育」を受けた世代は、たいてい印象がよくない。

 (2)、内容

  ①、狭山同盟休校

   ・部落解放同盟の政治的活動が学校教育に持ち込まれるようになった。事件が最高裁に係属した昭和51年(1976)には、石川の無罪を訴えて、解放同盟員の子どもを一斉に学校を休ませる「狭山同盟休校」が、全国数万人規模で行われた。また、道徳や同和教育の中で、「石川一雄さんは無罪だ」と教えたり、子どもたちに「狭山差別裁判糾弾」などと書かれたゼッケンを付けて登校させるなどが行われた。

  ②、「部落民宣言」へ

   ・狭山同盟休校によって、誰が部落民の子なのかが学校に知れ渡ってしまった。これ以後、部落解放同盟の強い影響を受けた地域においては、部落の児童・生徒がクラス全員の前で自分の住んでいる場所は部落であるという宣言する「部落民宣言」あるいは「立場宣言」と呼ばれる教育が行われるようになった。

  ③、思想改造

   ・教育内容に疑問を持ったり、異論をはさむことは許されず、教師から延々と説得されたり、強制的に「思想改造」のようなことも行われた。

<参考文献>

『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)

日本部落史(35) エセ同和行為

1、エセ同和とは

 (1)、法務省の定義

  ①、引用

   ・「「同和問題はこわい問題である」という人々の誤った意識に乗じ、例えば、同和問題に対する理解が足りないなどという理由で難癖を付けて高額の書籍を売りつけるなど、同和問題を口実にして、会社・個人や官公署などに不当な利益や義務のないことを求める行為」をエセ同和行為と定義する。
  
  ②、ポイント

   ・法務省の定義は、エセ同和は「行為」の問題であって、その「行為」を行った団体がどういう団体であるのかは問わない。しかし法務省は一貫して、部落解放同盟などの主要運動団体の行為をエセ同和行為と認定することはしていない。

 (2)、共産党・全国地域人権運動総連合(人権連)の定義

  ・部落解放同盟と仲が悪い共産党や全国地域人権運動総連合(人権連)は、部落解放同盟の運動組織員が不祥事を起こす際に、部落解放同盟の行為をエセ同和行為と批判することがよくある。

2、時期

 ・昭和57年8(1982)に同和対策事業特別措置法の期限切れとなるので、昭和54年(1979)から昭和55(1980)ごろから増え始め、昭和58年(1983)の商法改正による総会屋の締め出しによって元総会屋が新しい稼ぎ先として目をつけ、さらには昭和59年8(1984)から起こった山一抗争によってヤクザに対する警察の締め付けが強くなったことから、エセ同和行為へ一部のヤクザが転向した。

2、誰がエセ同和行為を行ったのか

 (1)、誰がエセ同和行為を行ったのか

  ①、既成の運動組織員からの転向・旗揚げ組

  ②、既成の運動組織員が別の団体の名刺を使っている二また組

  ③、既成運動組織員自身のエセ同和行為

  ④、債権取立など民事をエサに稼いでいたヤクザや整理屋の鞍替え組

  ⑤、暴力団的右翼団体員からの転向組

  ⑥、株主総会活動で賛助金をせしめていた総会屋の商法改正をきっかけとした転向組

 (2)、被差別部落民以外の者がエセ同和行為を行えた理由

  ・部落解放同盟は「部落民は同盟員とする。但し部落民でない者についても、都府県連合会で審査決定し、中央本部の承認により同盟員とすることができる」と、被差別部落民ではなくても同盟員になれる規定があり、ある程度被差別部落出身者ではない同盟員がいた。被差別部落民ではないが、部落解放同盟員であり、同和行政の施策を受けることができるというやり方が存在していた。

3、エセ同和行為はどのような事をやっていたのか

 (1)、エセ同和行為はどのような事をやっていたのか

  ①、中央官庁や地方自治体など行政機関と掛け合って、農地転用や市街化調整区域の地目変更など、土地開発の許認可をとり、開発業者に橋渡しして、莫大な斡旋料をせしめた。

  ②、「同和」の名で、金融機関に圧力をかけて融資を仲介し、高額の手数料をとった。

  ③、固定資産税減免などの税金関係の同和対策につけ込んで、相続税などの税務工作をしてやり、多額の手数料のリベートをとった。

  ④、生命保険や交通事故などの保険上乗せ工作を行った。

  ⑤、行政、企業に圧力をかけ、あるいはしつこく交渉して、事業、工事請負、商取引を求めた。

  ⑥、行政や企業、とくに差別事件などを起こした企業などに抗議、糾弾、同和研修を強要して、多額の研修費をとった。

  ⑦、行政や企業に機関紙購読をおしつけ、あるいはミスやトラブルなどを機関紙に書いたり、書くといって揺さぶり、金品で書くことを収めたたり、多数の機関誌を買わせたりした。

 (2)、なぜエセ同和は跋扈したのか

  ①、同和対策事業によって多額の税金によって道路や住宅の整備を行った。この物的条件の整備を主とする同和行政が利権構造を生み出した。

  ②、既成同和団体の一部幹部が同和行政にかかわる利権によって富裕化してゆき、これが「同和は金になる」という認識を社会に広めた。

  ③、既成同和団体の分裂や対立による解放運動の混乱が、部落問題の解放ではなく同和によって金を目指す独立組・一匹狼な者の出現を誘発した。

  ④、部落問題に対しする一般人の認識不足や「同和はこわい」の意識が、エセ同和行為を跋扈させた。

  ⑤、中央官庁をはじめとする行政の全国的団体の一部幹部のいいなりになる密室行政が、エセ同和行為の活動に手を貸した。

  ⑥、山一抗争によるヤクザの取り締まりの強化や、商法改正による総会屋の取り締まりの強化によって、ヤクザや総会屋がエセ同和へ転向流れ込みを促した。

  ⑦、警察の取り締まりの姿勢が長く定まらずに、エセ同和行為に十分に対応できなかった。

<参考文献>

『新・同和問題と同和団体』(高木正幸、土曜美術社、1988)
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)

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