1、意義

 ・昭和56年(1981)商法が改正以後、総会屋は勢力を弱めていたが、1980年代後半から総会屋と暴力団がさまざまな程度で合わさりあうようになり、企業に対して攻撃を加えるようになっていった。そのような中でも、企業の総会担当者に深い動揺と恐怖を与えたのが、富士写真フィルム専務刺殺事件であった。

2、シャンシャン総会から荒れる総会へ

 ・平成3年(1991)1月、富士写真フィルム専務・鈴木順太郎は同社の総務部長に就任した。これ以後株主総会は短時間のシャンシャン総会からロングランの荒れた総会へと変わった。つまり、鈴木が総会担当者になって以後、総会屋へ金を出すことをやめたのである。

3、平成6年(1994)年の株主総会

 (1)、意義

  ・富士写真フィルムの平成6年(1994)の株主総会が1月19日に開かれた。この総会は4時間22分の荒れた総会となった。

 (2)、出席した総会屋達

  ・田村守ら田村事務所

  ・小峰五郎ら小峰グループ

  ・五十嵐芳治ら日本會民主同盟

  ・児玉英三郎ら児玉グループ

  ・斉藤誠ら中本総合企画

  ・間宮裕詞ら中村省三事務所

  ・丸尾武士ら北経済研究所

  ・串田泰夫ら串田事務所

 (3)、荒れた総会

  ・総会開始10分前から、富士写真フィルム社長・大西実を皮肉って「足柄山の金太郎」の替え歌を歌いだし、質疑応答中に児玉グループの者がミニチュアボトル3本を議長席に投げつけるなど、暴力行為と建造物侵入罪で逮捕者を出す騒ぎとなった。会社側も怒号の中、強行採決で閉める大荒れの総会となった。

4、富士フィルム専務刺殺事件

 (1)、富士フィルム専務刺殺事件

  ・平成6年(1994)年2月28日、東京都世田谷区の自宅前で、鈴木は男に刺された。自力で玄関まで戻ったが力尽き、そのまま死亡した。

 (2)、犯人逮捕

  ・事件発生から8ヶ月後、実行犯として大阪にある砂子川組坂根組幹部と山口組倉本組傘下の組員が逮捕された。しかし、この二人は鈴木と利害関係がなく、誰がどのような思惑で鈴木を襲撃する依頼、もしくは命令をしたのかは不明のままであった。

5、影響

 ・警察は企業へ総会屋を切るように指導をした。しかし、この事件によって、総会屋を切った後に警察が安全を保障してくれるのか、総会担当者は疑心暗鬼となった。

<参考文献>

 『カネと暴力と五代目山口組』(溝口敦、竹書房、2007)