1、意義
・尾崎清光は「同和の事件屋」「利権同和屋」と言われた、エセ同和行為の元祖的存在である。典型的なエセ同和行為である、中央官庁や地方自治体など行政機関と掛け合って、農地転用や市街化調整区域の地目変更など、土地開発の許認可をとり、開発業者に橋渡しして、莫大な斡旋料をせしめることを得意とした。
参考)、日本部落史(27) エセ同和行為
2、来歴
(1)、高知時代
・昭和10年(1935)に、高知県で生まれる。
(2)、大阪時代
・大阪に出て東組に入り、傷害や恐喝を繰り返す事件屋として名を売った。暴力団から足を洗い、昭和44年(1969)に「尾崎興業」を設立し、金融・手形割引・不動産会社を経営していたが、西郷吉之助元法相・参議院議員が振り出した手形の回収を任され、業者に脅迫をしたことから、兵庫県警に逮捕された。
(3)、再び高知時代
・その後、郷里の高知に帰り、自ら建築、土木、砂利採取などの事業を行うかたわら、高知の政財界や行政に食い込み農地転用許可や国有地の払い下げなどに暗躍し「高知の黒幕」とまで呼ばれるようになった。昭和52年(1977)に高知県民文化ホールの工事を受注した大成建設に「工事に尽力した見返りに下請をやらせなければ仕事をできないようにしてやる」と脅して金銭を奪ったことから恐喝で逮捕された。
(4)、東京時代
・これにより郷里の高知から東京に出て、全日本同和会に所属したが除名となり、自ら「日本同和清光会」を結成し、エセ同和行為を始めた。しかし、尾崎のエセ同和行為の背後には暴力団が用心棒としてついており、この暴力団とのトラブルから、昭和59年(1984)に入院中の東京女子医大病院特別病室で、ピストルで撃たれナイフで心臓部にとどめを刺されて死亡した。享年48歳。ただし、尾崎を殺害した犯人は未だに検挙されておらず、その事件の背後関係はよくわかっていない。
3、「同和の事件屋」としての尾崎清光
(1)、意義
・尾崎は、全日本同和会に所属し、除名後は自ら「日本同和清光会」を作って、官庁、自治体に圧力をかけて、市街化調整区域の解除や農地転用、国有地払い下げなど通常は許可が下りないような許認可を強引にとりつけ、不動産業者や開発業者から仲介料やリベートをとり、暴利を得ていた。
(2)、典型的な尾崎のエセ同和行為
・昭和58年(1983)、尾崎は車三台で群馬県庁に押しかけ、群馬県内の約1万坪の土地に「全国同和会館」を建設するので、その利用許可とこの土地についての国土法に定める限度を超えた売却価格を認めよと恐喝をした。さらに尾崎は前もって官庁にも根回しをしておき、国土庁の担当課長に群馬県庁へ「よろしく」と電話をかけさせ、また県側と尾崎との交渉の場には建設省の課長補佐が立ち会った。当然、尾崎は全国同和会館など建設する気などさらさらなく、この土地を取得して開発業者に売り渡し、利ざやを稼ぐことが目的であった。
(3)、尾崎を暗躍させた背景
①、意義
・尾崎を暗躍させた背景は、役人の事なかれ主義もあるが、尾崎が「同和」、政治家、暴力団を背後に持ち、またかなり強引な恐喝を行ったことによる。
②、政治家
・尾崎は手形乱発事件で知り合った西郷元法相に取り入って、中央政界での人脈を築いていった。尾崎の誕生パーティーには、自民党の現職大臣や参議議員、官公庁の幹部が詰めかけた。
③、暴力団
・尾崎は、関西時代も関東時代も、常に暴力団の最高幹部を連れていた。ただし、資金を暴力団から借り負債が数十億あったともいわれ、さらに利用していた暴力団を変えたことから元の暴力団に恨みを買っていたりと、後に暗殺される原因にもなった。
④、強引なやり口
・尾崎が役人を恐喝するときは、何時間も電話を掛けたり、直接おしかけて怒鳴りつけたり、役人の自宅まで押しかけて宣伝カーでわめきちらしたり、自宅に電話をして役人の妻や子どもを脅したりと無茶苦茶やった。
(4)、その他の尾崎のエセ同和行為
①、八王子の霊園事業
・昭和58年(1983)、公園地区の指定解除による八王子霊園の造成において、尾崎が背後で暗躍した。
②、国鉄用地払い下げ
・昭和59年(1984)、尾崎はある開発業者から頼まれて、東京都内の国鉄用地は払い下げにおいて暗躍した。
<参考文献>
『新・同和問題と同和団体』(高木正幸、土曜美術社、1988)
・尾崎清光は「同和の事件屋」「利権同和屋」と言われた、エセ同和行為の元祖的存在である。典型的なエセ同和行為である、中央官庁や地方自治体など行政機関と掛け合って、農地転用や市街化調整区域の地目変更など、土地開発の許認可をとり、開発業者に橋渡しして、莫大な斡旋料をせしめることを得意とした。
参考)、日本部落史(27) エセ同和行為
2、来歴
(1)、高知時代
・昭和10年(1935)に、高知県で生まれる。
(2)、大阪時代
・大阪に出て東組に入り、傷害や恐喝を繰り返す事件屋として名を売った。暴力団から足を洗い、昭和44年(1969)に「尾崎興業」を設立し、金融・手形割引・不動産会社を経営していたが、西郷吉之助元法相・参議院議員が振り出した手形の回収を任され、業者に脅迫をしたことから、兵庫県警に逮捕された。
(3)、再び高知時代
・その後、郷里の高知に帰り、自ら建築、土木、砂利採取などの事業を行うかたわら、高知の政財界や行政に食い込み農地転用許可や国有地の払い下げなどに暗躍し「高知の黒幕」とまで呼ばれるようになった。昭和52年(1977)に高知県民文化ホールの工事を受注した大成建設に「工事に尽力した見返りに下請をやらせなければ仕事をできないようにしてやる」と脅して金銭を奪ったことから恐喝で逮捕された。
(4)、東京時代
・これにより郷里の高知から東京に出て、全日本同和会に所属したが除名となり、自ら「日本同和清光会」を結成し、エセ同和行為を始めた。しかし、尾崎のエセ同和行為の背後には暴力団が用心棒としてついており、この暴力団とのトラブルから、昭和59年(1984)に入院中の東京女子医大病院特別病室で、ピストルで撃たれナイフで心臓部にとどめを刺されて死亡した。享年48歳。ただし、尾崎を殺害した犯人は未だに検挙されておらず、その事件の背後関係はよくわかっていない。
3、「同和の事件屋」としての尾崎清光
(1)、意義
・尾崎は、全日本同和会に所属し、除名後は自ら「日本同和清光会」を作って、官庁、自治体に圧力をかけて、市街化調整区域の解除や農地転用、国有地払い下げなど通常は許可が下りないような許認可を強引にとりつけ、不動産業者や開発業者から仲介料やリベートをとり、暴利を得ていた。
(2)、典型的な尾崎のエセ同和行為
・昭和58年(1983)、尾崎は車三台で群馬県庁に押しかけ、群馬県内の約1万坪の土地に「全国同和会館」を建設するので、その利用許可とこの土地についての国土法に定める限度を超えた売却価格を認めよと恐喝をした。さらに尾崎は前もって官庁にも根回しをしておき、国土庁の担当課長に群馬県庁へ「よろしく」と電話をかけさせ、また県側と尾崎との交渉の場には建設省の課長補佐が立ち会った。当然、尾崎は全国同和会館など建設する気などさらさらなく、この土地を取得して開発業者に売り渡し、利ざやを稼ぐことが目的であった。
(3)、尾崎を暗躍させた背景
①、意義
・尾崎を暗躍させた背景は、役人の事なかれ主義もあるが、尾崎が「同和」、政治家、暴力団を背後に持ち、またかなり強引な恐喝を行ったことによる。
②、政治家
・尾崎は手形乱発事件で知り合った西郷元法相に取り入って、中央政界での人脈を築いていった。尾崎の誕生パーティーには、自民党の現職大臣や参議議員、官公庁の幹部が詰めかけた。
③、暴力団
・尾崎は、関西時代も関東時代も、常に暴力団の最高幹部を連れていた。ただし、資金を暴力団から借り負債が数十億あったともいわれ、さらに利用していた暴力団を変えたことから元の暴力団に恨みを買っていたりと、後に暗殺される原因にもなった。
④、強引なやり口
・尾崎が役人を恐喝するときは、何時間も電話を掛けたり、直接おしかけて怒鳴りつけたり、役人の自宅まで押しかけて宣伝カーでわめきちらしたり、自宅に電話をして役人の妻や子どもを脅したりと無茶苦茶やった。
(4)、その他の尾崎のエセ同和行為
①、八王子の霊園事業
・昭和58年(1983)、公園地区の指定解除による八王子霊園の造成において、尾崎が背後で暗躍した。
②、国鉄用地払い下げ
・昭和59年(1984)、尾崎はある開発業者から頼まれて、東京都内の国鉄用地は払い下げにおいて暗躍した。
<参考文献>
『新・同和問題と同和団体』(高木正幸、土曜美術社、1988)