「任侠道」とはどのような意味を指しているのだろうか疑問に思っていましたが、元山口組顧問弁護士の山之内幸夫氏が『山口組の平成史』の中でわかりやすく整理されていたのでまとめます。任侠道の意味は3つくらいに分かれるそうです。
1、「強きを挫き弱きを助ける・義理人情」という意味
(1)、意義
①、意義
・任侠道と言えば、「強きを挫き弱きを助ける・義理人情」。世間一般的にも任侠道といえばこの意味でしょう。
②、具体例1 映画「旗本ヤクザ」
・「旗本ヤクザ」という映画の千秋実氏演じる町奴明神組の親分三左衛門のセリフ、「義理と人情、度胸に意地。弱きを助けて強きを挫く。そのためには命を投げ出すこともある。任侠道とは、男涙の茨の道だぞ」。脚本は中島貞夫氏と倉本聰氏です。このようなものが一般的な任侠道のイメージではないでしょうか。
③、具体例2 遠藤誠
・暴対法制定後に山口組が兵庫県公安委員会に対して「指定暴力団」の取消しと「暴対法の執行停止」を求めて起こした訴訟の際の遠藤誠弁護士が作成した文書には、「任侠、任侠道とは、一言では語りつくせないが、古来中国の英雄や我が国江戸時代の庶民の中から出てきた英雄(幡随院長兵衛など)に端を発した生き様を理想とし、義理人情を大切にし、人に恥ずかしくない生き方をしようというものである。任侠の『侠』は『男気』『男伊達』と言われているように、男らしい生き方をしようというものである。したがって任侠に生きる者たちは、『侠』として人に後ろ指を指されることを潔しとしない。困っている人を助け、『侠』として精一杯努力する。『男』を売り、『男』として立派になりたいと考え、日々実践している。またそのため信義を守り、人の信頼を裏切らず、義理に硬く、人情に欠けることなく、礼節を守り、生きていこうと努力している」とあります。これが山口組の公式的な「任侠道」の理解でしょうか。
④、具体例3 竹中正久
・映画の世界ではなく実際のヤクザの発言から。四代目山口組組長・竹中正久氏はインタビューの中で任侠道について、「ま、義理人情いうことはやなあ、オレは日本人として、やっぱり当然やなあ。ええことや思うなあ。義理に厚うてなあ、人に接すにも情をもって接しないかんしなあ。これはやっぱり、昔からの伝統やろ、ヤクザの・・・・・日本人の」と言われています。
⑤、具体例4 田代栄助
・歴史的には、明治17年(1884)に埼玉県秩父郡で起きた秩父事件のリーダー・田代栄助が逮捕された時、「自分ハ性来強ヲ挫キ弱ヲ扶クルヲ好ミ、貧弱ノ者便リ来ルトキハ附籍為致其他人ノ困難ニ祭シ、中間ニ立チ仲裁等ヲ為ス事実ニ十八年間子分ト称スル者二百有余人今般井上伝三等ノ目論見タル四ケ条一貧民ヲ救フノ要用ナルヲ信シ同意を表シタル処総理ニ推サレタリ」と供述しています。「強きを挫き弱きを助ける」を実際に実行したヤクザもいるわけです。
参考)、ヤクザと社会運動 ヤクザはかつて社会運動のリーダーであった ー秩父事件と五菱会事件ー
参考)、ヤクザと社会運動 ヤクザはかつて社会運動のリーダーであった ー秩父事件と五菱会事件ー
⑥、具体例5 名和忠雄
・その名も『任侠道に生きる』という著作がある元ヤクザの名和忠雄氏は、その著書の一番最初に「『強きをくじき、弱きを助ける』任侠道は、人間道の根本なり!」と書かれています。
⑦、具体例6 大野伴睦
・『大野伴睦回想録 義理人情一代記』の著作があるヤクザとの関係が深い政治家の大野伴睦氏は、二代目本多会の襲名披露に出席したときに「わたしは義理人情をもって政治をしている。これがなければ、政治から義理人情をとってしまえば、政治がいかに空白であるかということは、みなさんがよく承知しておられることである。人情、義理、任侠というものは日本の伝統であり、政治の根本であろうと思う。吉良の仁吉とはまさに本多さんのような人であろうと思う」という祝辞を述べています。
⑦、具体例6 大野伴睦
・『大野伴睦回想録 義理人情一代記』の著作があるヤクザとの関係が深い政治家の大野伴睦氏は、二代目本多会の襲名披露に出席したときに「わたしは義理人情をもって政治をしている。これがなければ、政治から義理人情をとってしまえば、政治がいかに空白であるかということは、みなさんがよく承知しておられることである。人情、義理、任侠というものは日本の伝統であり、政治の根本であろうと思う。吉良の仁吉とはまさに本多さんのような人であろうと思う」という祝辞を述べています。
⑧、具体例7 中野正剛
・政治家の中野正剛は、大正10年の「任侠と卑劣」と題する講演の中で、「弱者を虐げる強者に阿(おもね)る心ほど、人間として卑劣な事はない。強者を挫き弱者を扶くるを任侠と謂う。人間の美徳である。国運起こらんとする時は任侠の気風が興り、国運傾く時は人身衰えて卑劣の行動が行われる」とします。
(2)、「強きを挫き弱きを助ける・義理人情」で生きるヤクザなどいない
①、意義
・他方、ステレオタイプな「強きを挫き弱きを助ける・義理人情」で生きるヤクザなどいない、もしくはそのようなヤクザはいても極々少数であるという事を言う方もたくさんいます。
②、具体例1 加茂田重政
ア)、引用
インタビュアー「みなさんのおっしゃる任侠道っていうのはどういうものなのですか?」
加茂田重政「いやワシもはっきりわからんねん。わからんなりに極道しておるねん。どういう意味かな任侠道って。ワシは聞きたいねん。いっぺんどこかの親分に。知っとる人少ないんやないかな。今極道しておる人で。任侠道っていうの。」
インタビュアー「義理人情・・・。」
加茂田重政「そう、義理人情ね。弱きを助け強きを挫くと。」
イ)、考察
・加茂田氏は、任侠道がどういう意味なのかは分かりませんとします。当然ステレオタイプな「強きを挫き弱きを助ける・義理人情」という意味は知っていますが、「強きを挫き弱きを助ける・義理人情」で生きるヤクザなんていないという意味でしょう。
③、具体例2 懲役太郎
ア)、引用
私は任侠道という道は見た事も通った事もございません。知りません。確かに私も辞書的な意味では知っていますが、私がこの30有余年この業界に携わっていますが、私みたいな外様でいわゆる本線じゃない所を渡り歩いた元組員にとっては、そんな道は通れないですし、見たことはないですね。そういう方はいると思うんですよ。任侠道という何か素晴らしい道があるのかもしれませんが、騙す、はめる、脅す、脅される、捕まるしかないんで、所謂その弱きを助け強くを挫くみたいなそんな道は見たことがないです。
これに関連して侠客。侠客は誰だ、何だ、どこにいるんだ。会えるものなら会ってみたいですけれども、会った事もないですね。見たこともないですね。助けてもらった事もなければ助けられた事もないし、すげえなっていう人を身近では、いや凄い遠い遠い所では、聞く所では素晴らしい方はいますよ。私みたいな、要は自分が元々最初についた所が、何かの形で自分の親方が故障、処分という形になった所で、吸収され、合併され、解散になりという事を繰り返している人間にとって、そういった頂点に近い人達に話をする事もほぼほぼ無理ですし、いいような扱いは受けられないですよ。
イ)、考察
・懲役太郎さんも加茂田氏と同じく、「強きを挫き弱きを助ける・義理人情」で生きるヤクザなんていませんとされます。
④、具体例3 山之内幸夫
・長年ヤクザと接してきた山之内氏も、「現実は「弱きを威嚇し強きに媚びへつらう」のが普通だし、我が身を犠牲にするより、人を踏みつけて自分の利益を得ようとする方がヤクザらしい」とします。
(3)、補論 「強きを挫き弱きを助ける」ではなく「正を糺し悪を挫く」
①、意義
・藤田五郎氏は『任侠百年史』の中で、正しい任侠道とは「強きを挫き弱きを助ける」ではなく「正を糺し悪を挫く」であるとします。
②、具体例 藤田五郎
「東京の赤坂に住む老親分は、若いころは波乱万丈の人生をおくってきて今日の地位があるだけに言う言葉に千金の重みがあった。「任侠とは、弱きを助け強きを挫くというが、本当にそうだろうか。これは大きな誤りである。弱い奴にも悪い奴はうんといる。その弱い奴を庇って助け、強くとも正しい人を挫くのか。それを任侠といえるだろうか。そうではない。任侠の正しい精神は、正を糺し、悪を挫くにある」
・藤田五郎氏は『任侠百年史』の中で、正しい任侠道とは「強きを挫き弱きを助ける」ではなく「正を糺し悪を挫く」であるとします。
②、具体例 藤田五郎
「東京の赤坂に住む老親分は、若いころは波乱万丈の人生をおくってきて今日の地位があるだけに言う言葉に千金の重みがあった。「任侠とは、弱きを助け強きを挫くというが、本当にそうだろうか。これは大きな誤りである。弱い奴にも悪い奴はうんといる。その弱い奴を庇って助け、強くとも正しい人を挫くのか。それを任侠といえるだろうか。そうではない。任侠の正しい精神は、正を糺し、悪を挫くにある」
2、「自己犠牲の精神」という意味
(1)、意義
・任侠道は、自己犠牲の精神という意味でも使われています。
(2)、具体例
①、具体例1 万年東一
「損を平気でできるのが任侠で、できないのが普通の男だ。それができれば、八百屋の小父さんでも、タクシーの運転手さんでも任侠で、できなければ、そんなもんは、たとえ組長・総長でも任侠ではない」
②、具体例2 菅沼光弘
ア)、引用
「任侠というのは何もヤクザの専売特許ではない。人のために命を捨てる。一言でいえば、そういうものでしょ」
イ)、展開
・菅沼氏はさらに、「松下電器産業株式会社の時代は、松下幸之助という親父さんがいて、従業員はみんな子供のようなものだった。あの頃は経営が苦しくなってくると、従業員のほうから賃金はいりませんから働かせてくださいと進言していたといいます。その代り、どれだけ不況になっても、絶対に社員を解雇しないというのが松下電器という会社だったんです。それがパナソニックになったとたん、テレビ受像機の業績が振るわないからといって一万人のリストラ。そうなるとアメリカの会社と同じです。雇われているほうもいつクビを切られるかわからないから、命をかけて会社のために働く社員なんて一人もいなくなりますよ」として、会社経営には任侠の精神が大切だとされます。
③、具体例3 山之内幸夫
ア)、引用
「任侠の精神とは人のために自分を捨てるということ。それを最も尊い行動として仲間が畏敬するということだ。つまり破滅的生き方を敢えてすることで、犠牲になる。仮にそこまでいかなくとも奉仕活動は日常業務で、損得勘定で言えば明らかに損な生き方だ。そういう振る舞いが任侠精神に酷似している」
イ)、展開
・この自己犠牲の精神から、ヒットマンとして敵対組織の人間を殺しに行くというヤクザの行動が導かれます。山之内氏は「殺害に成功した先には無期懲役が待っており、当然将来などなく人生はそこで終わりだ。別に相手が憎いわけでもないが、親分のため、組のために自分を捨てる。この理不尽な心意気が任侠の精神に似ている。間尺に合わない計算外のことをする反合理主義はヤクザの特権、という意味で任侠と言っている」とします。その他、行き場を失って困ってる人がいたら過去を詮索することなく受け入れる、食い詰めている人がいたら炊き出しをしたり寝る場所を提供する、阪神・淡路大震災の被災者支援などもこの精神によるとします。
3、「ヤクザ社会や組織の掟」という意味
(1)、意義
・山之内氏は、「ヤクザが通常使う任侠道という言い回しは業界のルールや掟を任侠道と呼んでいることが多い」とします。つまり、ヤクザ社会の掟、自分が所属している組織の掟という意味でしょう。
(2)、具体例
①、具体例1 『月刊日本』編集部
・「『月刊日本』編集部」名義での署名記事ですが、「任侠とは日本の伝統である。お上が定めた法ではなく、共同体内部での掟、すなわち仁義を重んじる伝統である。かつて混乱の戦国時代が終結し、江戸幕藩体制で社会が安定したとき、必然的に新しい社会の規範からはじき出される人々も登場することになった。無法者と呼ばれた彼らをまとめあげ、仁義という掟で独自の共同体を作り出したのが幡随院長兵衛、国定忠治であり、清水次郎長であった。そして日本人は彼らの活躍に喝采を送ったのである。そこには、官僚機構である幕藩体制よりも、自然発生的に生じた共同体の絆を重んじる日本人の心性が現れている。時代は下って、高度経済成長のもと、急速に農村共同体が破壊されていく中で東映任侠映画が人気を博したのも、そこに仁義で結ばれた共同体への郷愁を見出していたからであろう」とします。
②、具体例2 神戸山口組の義理回状
・神戸山口組が平成29年(2017)4月に出した織田絆誠氏と池田幸治氏への絶縁状には「右の者 任侠道に反して不都合の段多々有り」とあり、同組が令和2年(2020)9月に出した中田浩司氏への除籍御通知には「右の者 当組の規約に反する行為此れ有り」とあります。神戸山口組の掟だと「当組の規約」と書かれますので、この場合の「任侠道」はヤクザ社会という共同体の掟という意味でしょう。
③、具体例3 産経新聞の司忍氏のインタビュー
・平成23年(2011)10月1日に産経新聞に掲載された六代目山口組組長・司忍氏のインタビューにおいて、「これまで以上の任侠道に邁進し、組員ひとりひとりが普通の暮らしをし、犯罪をおかさないようにする。山口組では一般の人よりも長幼の序とか、そういうことは厳しく守られている。ホテルとか公共の場で徒党を組まないとか3人以上で歩かないとか、そういう面でも厳しくしている」という発言があります。この任侠道とは山口組という共同体の掟という意味でしょう。
4、補論 江戸時代の文献からみる任侠道
(1)、江戸時代の文献の引用
①、寺門静軒『江戸繁盛記』
・19世紀前期の江戸の風俗を戯文で綴った『江戸繁盛記』は侠客の流儀を「其の胆大に、財を軽んじ、命を賭(かけものに)し、一諾千金、強きを挫き、弱きを援(たす)く」とし、幡随院長兵衛こそがその親玉だとしています。なお、「一諾千金」というのは、「言葉に千金の重みがあって、一度引き受けたら必ず事を成し遂げる」という意味です。
②、斎藤彦麿『神代余波』
・弘化年(1847)の『神代余波』には、「むかしの侠客どもはことさら異様なる姿にて、つよきを挫きよわきを助け金銀を惜しまず」とあり、それに比べて昨今の侠客は、「高貴にへつらひて威光をかり富裕におもねりて金銀をもらひて男をたて顔をしらるゝを自慢とす」とあります。
③、西沢一鳳(いっぽう)
・三田村鳶魚が「侠客の話」の中で、大阪の歌舞伎狂言作家の西沢一鳳が、嘉永3年(1850)に江戸を訪れた際に、「江戸は任侠の風があって、弱きを扶け強きを挫く風があると聞いたが、今では幡随院長兵衛の話のようなことは、嘘にもない、人の世話なんぞはなかなかしない」と述べたという事を紹介しています。
(2)、考察
①、任侠道=侠客=幡随院長兵衛というイメージは江戸時代からすでにあった
・江戸時代の文献では、「侠客=幡随院長兵衛」というイメージが書かれています。近世史家の氏家幹人氏は「どうやら江戸では17世紀半ばに、強者を恐れず弱者(か弱き庶民)のために一肌も二肌も脱ぐ任侠精神こそが侠客の条件であるとする「思想」が、醸成され定着した」とされます。
②、侠客たるもの金にこだわらない
・江戸時代の文献では、「財を軽んじ」や「金銀を惜しまず」のように、侠客たるものは金にこだわらないとします。ヤクザは金の事ばかり考えてるイメージがありますが、堀政夫氏のように、大住吉のトップに立っても借家住まいをし、やがて千葉県に自分の家を持ったが、それも木造二階建ての建売だったという親分もいます。
③、常に廃れる任侠道
・現在においても「任侠道は廃れた」とよく言われますが、江戸時代の文献においても「幡随院長兵衛の時代には任侠の精神はあったが江戸時代後期になると任侠道が廃れた」と書かれています。任侠道は常に廃れるものなのでしょうか。結局任侠道とは、アウトローの人生の指針であり、堅気のアウトローはこうあってほしいという願望なのかもしれません。
<参考文献>
『山口組の平成史』(山之内幸夫、筑摩書房、2020)
『一家を守るために男は何をすべきか』(サンデー毎日特別取材班、KKベストセラーズ、1985)
『任侠道に生きる』(名和忠雄、星雲社、1993)
『サムライとヤクザ』(氏家幹人、筑摩書房、2007)
『新版 ヤクザと妓生が作った大韓民国 日韓戦後裏面史』(菅沼光弘、ビジネス社、2019)
『ヤクザと日本人』(猪野健治、筑摩書房、1999)
『ヤクザ・レポート』(山平重樹、筑摩書房、2002)
『任侠百年史』(藤田五郎、笠倉出版社、1980)
「特集 蘇れ!任侠道」『月刊日本』2010年8月号(ケイアンドケイプレス、2010)
「特集 蘇れ!任侠道」『月刊日本』2010年8月号(ケイアンドケイプレス、2010)