1、福田晴瞭とは

 (1)、渡世入り

  ・昭和18年(1943)、千葉県で生まれた。中学生までは青森で過ごし、東京の高校に進学したことから一人暮らしを始めた。福田が16歳の時、銀座でトラブルを起こして小林会会長・小林楠扶と知り合い、そのまま渡世入りした。

 (2)、出世

  ・福田は、小林会の部屋住みからはじまり、若者総責任者、本部長と出世をしてゆき、平成2年(1990)に小林会の二代目を継承した。また住吉会においても、30代で常任相談役となり、その後も副理事長、理事長と出世していった。

2、住吉会会長・住吉一家総長となる

 (1)、住吉会会長となる

  ①、意義

   ・平成10年(1998)、福田は西口茂男の指名をうけて、住吉会の会長となった。平成14年(2002)、西口は住吉一家六代目のまま住吉会の「総裁」職についた。これにより、西口総裁ー福田会長の二人三脚の体制が成立した。

  ②、執行部改革

   ・平成14年(2002)、西口総裁ー福田会長の下に、「三役(理事長・幹事長・総本部長)ー八役(組織委員長・渉外委員長・諮問委員長・運営委員長・慶弔委員長・懲罰委員長・風紀委員長・事務局長)ー役員待遇ー執行部副会長」というラインを形成する大胆な執行部改革を行った。

 (2)、住吉一家七代目を継承する

  ①、意義

   ・住吉会の会長職を譲ったあとも西口は住吉一家六代目に留まっていたが、平成17年(2005)に、住吉一家総長の地位も福田へ譲った。これにより福田は、住吉会会長・住吉一家総長となり、大住吉のトップとなった。

  ②、執行部改革

   ・福田七代目体制の発足同時に、三役(理事長・幹事長・総本部長)を四役(本部長・理事長・幹事長・総本部長)とし、さらにその上に会長代行を新設した。この会長代行には、共和六代目・関功が就任した。

3、相次ぐ抗争事件

 (1)、時系列

  ①、二率会東京勢力の加入

   ・平成2年(1990)に発生した八王子抗争により、平成13年(2001)に二率会が解散し、東京勢力が住吉会へと加入した。

    参考)、ヤクザ抗争史 八王子抗争

  ②、四ツ木斎場事件(稲川会→住吉会)

   ・平成13年(2001)、東京都葛飾区にある四ツ木斎場で、向後睦会会長・熊川邦男が稲川会大前田一家小田組幹部・吉川一三と小田総業幹部・村上善男に射殺された。さらに、熊川の近くにいた住吉会滝野川一家総長・遠藤浩司と住吉会向後睦会松井組幹部・西村俊英にも命中し、遠藤は死亡、西村も重傷を負った。

    参考)、ヤクザ抗争史 四ツ木斎場事件

  ③、前橋スナック乱射事件(住吉会→元稲川会)

   ・平成15年(2003)、四ツ木斎場事件の時に見届人であったという噂の大前田一家元本部長・後藤邦雄が、前橋市にあるスナック加津で襲撃された。襲撃した住吉会幸平一家矢野睦会幹部・小日向将人と同幹部・山田健一郎は無差別乱射を行い、以前から命を狙われていた後藤は机の下に潜んで助かったが、なんの関係もない市民3人と後藤のボディーガードをしていた男性1人の計4人が射殺され、1人が重傷を負った。

    参考)、ヤクザ抗争史 四ツ木斎場事件

  ④、北関東抗争(住吉会⇔五代目山口組)

   ・平成15年(2003)、住吉会住吉一家親和会と五代目山口組弘道会が抗争を起した。

    参考)、ヤクザ抗争史 北関東抗争(栃木抗争)

  ⑤、浅草発砲事件(住吉会→五代目山口組)

   ・平成16年(2004)、浅草ビューホテル近くの住吉会中村会事務所に、貴広会組員50人が押しかけてた。その後、浅草ビューホテル一階の喫茶室で改めて話し合いに入ったときに、住吉会中村会香山組組員・片桐俊らが貴広会組員へ突然発砲し、中川総業組長・中川謙一と川口総業若頭・末吉民男が死亡、川口総業組長・川口京孝ら2人が軽傷を負った。

    参考)、ヤクザ抗争史 浅草発砲事件

  ⑤、西麻布抗争(六代目山口組→住吉会)

   ・平成19年(2007)、住吉会系小林会三代目会長・小林忠紘は、小林会系武州前川八代目の義理事へ出かけるので、小林の秘書役である小林会直井組組長代行・杉浦良一が迎えに行った。この時、六代目山口組五代目国粋会組員が、東京港区西麻布の路上に停めた車の後部座席に座っていた杉浦を、小林と勘違いをして射殺してしまった。

    参考)、ヤクザ抗争史 西麻布事件

  ⑥、埼玉抗争(住吉会⇔六代目山口組)

   ・平成20年(2008)、埼玉県八潮市で六代目山口組二代目小西一家二代目堀政連合系組織の相談役が住吉会住吉一家伊勢野会の幹部2人と、政治結社会長ら幹部4人の計6人に刺殺された。直後、埼玉県ふじみ野市にある住吉会住吉一家三角八代目の組事務所前で、同組の幹部が小西一家の組員に銃殺された。
   
    参考)、ヤクザ抗争史 埼玉抗争

 (2)、山口組との友好関係を築く
  
  ・六代目山口組は平和外交を進めていたが、住吉会とはさまざまな流血抗争が起こっていた。関東二十日会に加盟する5団体のうちで山口組と親戚関係にないのは住吉会だけであった。よって、平成23年(2011)、福田ら最高幹部が神戸に出向いて、出所してきた六代目山口組組長・司忍と会談し、翌日には山口組の最高幹部が住吉会本部を訪問をした。

4、特別相談役へ

 (1)、特別相談役へ

  ・平成26年(2014)、住吉会の会長職が福田から住吉会会長代行で住吉一家共和六代目・関功へ譲られた。福田は住吉一家七代目の地位には留まり、住吉会においては「特別相談役」という新設の地位についた。

 (2)、アメリカから経済制裁対象に指定される

  ・平成23年(2011)、オバマ政権はヤクザを国際的に活動する犯罪組織と認定し、翌平成24年(2012)には、山口組に続いて住吉会と西口、福田を経済制裁の対象に指定した。これにより、アメリカの資産が凍結され、アメリカの企業や個人と取引をすることが禁じられた。

<参考文献>

『住吉会総覧』(竹書房、2007)
『ヤクザ・レポート』(山平重樹、2002、筑摩書房)