、手打ちの盃

 ・Youtubeに山道抗争時の「手打ちの盃」の動画があります。



  「鯉の腹あわせの儀」とは、鯉を背中合わせにし、その後その腹を合わせることによって、これまで対立していた二人が腹を合わせて仲良くやっていこうという儀式です。その後に五分手打ちの盃を飲みます。しかし、盃事は盃事師も命がけのようです。

2、盃事は命がけ

 (1)、意義

  ・戦国時代は血なまぐさい喧嘩が頻発しましたが、江戸時代になり公儀権力による秩序が構築されてくると、喧嘩の際にも古来以来の作法である「手打ちの盃」が多用されるようになりました。しかし、「手打ちの盃」の作法をめぐって紛争も起こるようにもなりました。

 (2)、作法違いで殺された盃事師

  ・正保3年(1646)、大筒役の井上正継と稲富直賢が砲術の技をめぐって江戸城内で喧嘩寸前となった時、旗本長坂信次が間に入りました。しかし、この長坂の「手打ちの盃」に作法違いがあったことから井上が激高し、井上は長坂を殺害してしまいました。さらに、手打ちを乱したとして長坂家も幕府から千石余りの知行を没収されてしまいました。「盃事にあたりましては、古来より式作法等には多々流儀流派があるように聞き及んでおりますが、手前〇〇一門に伝わります流儀を持ちまして執り行わせていただきます」と必ず盃事師が断る理由も分かります。

<参考文献>

『サムライとヤクザ―「男」の来た道』(氏家幹人、筑摩書房、2007)