Youtuberになられた貴闘力さんの「【感動】壮絶な相撲界入門の経緯〜若貴兄弟との出会い」で語られた相撲取りになるまでの話が面白いです。『ヤクザと日本』(宮崎学、筑摩書房 2008)を参考にヤクザの歴史を辿っていきながら、Youtubeの動画「吉田豪語る:貴闘力(大嶽親方)の相撲協会解雇・賭博・交友関係」も加味して、貴闘力さんのライフヒストリーを検討していきます。
1、相撲取りはかつてヤクザだった
(1)、江戸時代のヤクザの形態
①、江戸時代のヤクザの第一形態 カブキ者
・カブキ者は、室町時代から戦国末期に至る動乱の時代に、百姓のフリーター兵である足軽を集めて集団をつくり、金のありそうな戦国大名を見つけると売り込みにいき、戦争では足軽軍団を統率し、雇い主と足軽とのトラブルを処理し、足軽たちに賃金を払い、戦闘の後の略奪や落ち武者狩りを指揮した。江戸時代になり戦争がなくなると、カブキ者たちは都市の無頼集団のリーダーとなっていったが、江戸幕府はカブキ者を取り締まり、慶長17年(1612)に大量に逮捕処刑をし、このカブキ者の系譜は途絶えた。
②、江戸時代のヤクザの第二形態 町奴
・町奴は、正保・慶安年間(1644~1652)に旗本の不良集団である旗本奴に対抗して、町人の中から形成されたものである。町奴は江戸時代初期に幕府が大名に課した普請の人夫出しをしていたが、人夫はやがて金納化し、さらに幕府による度重なる「奴狩り」によって打撃をうけ、元禄年間には解体された。
③、江戸時代のヤクザの第三形態
・江戸時代中後期になるとヤクザは、①火消人足、②目明、③角人(すもう)、④博徒及侠賊、⑤人入(労働力供給業者)、⑥金侠(金に物をいわせて侠的な行為をした裕福な町人集団)、⑦女侠(主に花街で遊客の侠客と組んで侠的な行為をした女達)となっていった。相撲取りもヤクザであった。
(2)、近代ヤクザの形態
・日本が近代化し資本主義化していくと、沖仲士や炭鉱夫、そしてそれらの人達を束ねる労働力供給業者が生まれた。
2、貴闘力が相撲取りになるまで
(1)、ヤクザだった父親
①、沖仲士
・貴闘力の父親は、小学校1年からずっと力仕事に従事しており、読み書きができなかった。神戸の港湾で沖仲士の仕事に従事していた時は、同じく沖仲士をしていた後に横綱となった三代目朝潮と並ぶ腕力自慢であった。貴闘力の父親は相撲取りになりたかったがなれなかったので、その思いを息子に託した。
②、雀荘
・貴闘力の父親は無類のギャンブル好きであり、最後の博徒・波谷守之とも仲が良く、波谷がよく家に来ていた。しかし、借金を多方に作り、貴闘力が小学6年生の時に夜逃げ同然で福岡から山口に逃げ、その後も仕事もせずにパチンコや麻雀ばかりやっていた。その後、福岡に戻り雀荘を始め、商売がうまかったので福岡で一番流行った雀荘となった。
(2)、貴闘力の相撲入り
①、相撲との接点
・貴闘力はもともと野球をやっていたが、父親が山口に夜逃げしたことにより野球はやめてしまった。山口時代に父親と北の湖に2000円対100円どっち張るとかといったギャンブルを楽しんでいたおり、それで相撲に興味を持ちはじめ、小学校を卒業したら相撲取りになろうと決心した。父親に相撲取りになりたい旨を伝えると、もとから相撲取り志望だった父親はすぐに貴闘力を大関・貴ノ花利彰の元へ連れていき、半年間、後の若乃花貴乃花とともに過ごした。
②、相撲入り
・貴闘力は父親の雀荘で働き、稼いだ金を競艇へとつぎ込むといった中学時代を送っていた。この時に中学生のうちからギャンブルばっかりやってたらヤクザやるしかないぞと言われ、柔道が強い福岡の中学校に連れていかれた。ここで柔道で鍛え、中学卒業とともに藤島部屋へ入門した。
③、ギャンブル
・父親と同じく、貴闘力も競馬に単勝一点買いで数百万をつぎ込むほどのギャンブル好きであった。後援会を作るための費用を父親が使いこんでしまった時は、全財産10万円を握りしめて大井競馬場へ向かい10万円を400万円にし、そのお金で化粧まわしなどをすべて作ったという。しかしまたそのギャンブルに足元をすくわれ、平成22年(2010)、貴闘力(当時は大嶽親方)が琴光喜の野球賭博による借金を警察に相談したのがきっかけで野球賭博が発覚し、日本相撲協会を解雇となった。
3、興行とヤクザ
・貴闘力父子は、沖仲士、博徒、相撲取りとまさにアウトローの王道ですね。貴闘力は、「ギャンブルやってきたのはアホだから。賢かったらギャンブルなんかやらないよね。人生設計たててさ。でもそんな人生設計立ててるような人間の相撲を見たい?見たくないよね。明日死ぬかもしれないみたいな相撲を取ってお客さんに喜んでもらった方がいいし、アホはアホなりの人生があるからね」と言います。貴闘力が言うように、遊び人には華があり人を惹きつけるので、芸能、興行、格闘技などに向いているのでしょう。しかしまた、身を持ち崩す人が絶えないのも事実であります。
4、相撲部屋はヤクザな世界
・貴闘力さんが藤島部屋時代の話をされていますが、やっぱり相撲部屋はヤクザな世界です。
4、相撲部屋はヤクザな世界
・貴闘力さんが藤島部屋時代の話をされていますが、やっぱり相撲部屋はヤクザな世界です。
<参考文献>
『ヤクザと日本』(宮崎学、筑摩書房 2008)