1、抗争

 平成16年(2004) 住吉会中村会vs五代目山口組貴広会

2、経過

 (1)、五代目山口組貴広会の成立

  ・平成10年(1998)9月、五代目山口組で若頭補佐を務めた初代倉本組組長・倉本宏文が亡くなった。この後倉本組は跡目が定まらず、津田功一会長の貴広会と小條鎮生会長の倉心会に分裂し、両組織ともに五代目山口組の直参となった。

 (2)、貴広会の東京進出

  ・貴広会は東京へ進出して暴れ、一時は五代目山口組の有力組織である山健組や後藤組と並ぶほどの勢力を誇った。貴広会の中では、末吉隆秀組長率いる大末総業や川口京孝組長率いる川口総業などが東京都内の有力組織であった。他方、関東のヤクザ組織は都内で暴れる貴広会系組織を「中野会の悪夢の再来」として嫌っていた。さらには、東京都内の山口組系の組織ともトラブルを起こすようになっていた。

 (3)、事件

  ・平成16年(2004)10月24日、浅草ビューホテル近くの住吉会中村会事務所に、貴広会組員50人が押しかけてた。その後、浅草ビューホテル一階の喫茶室で改めて話し合いに入ったときに、住吉会中村会香山組組員・片桐俊らが貴広会組員へ突然発砲し、中川総業組長・中川謙一と川口総業若頭・末吉民男が死亡、川口総業組長・川口京孝ら2人が軽傷を負った。

 (4)、その後

  ①、手打ち

   ・山口組側は住吉会に対して、返しも金銭的な補償の要求も行わなかった(ただし、被害者遺族へ示談金約1100万円は支払われたという)。結局、浅草発砲事件(住吉会→山口組)と、平成19年(2007)2月5日に起きた住吉会小林会三代目会長・小林忠紘と間違われて小林の秘書役である小林会直井組組長代行・杉浦良一が山口組国粋会系幹部によって誤射された事件(山口組→住吉会)とを相殺する形で、事件の処理が行われた。

  参考)、ヤクザの抗争史 西麻布事件

  ②、実行犯

   ・実行犯の片桐は無期懲役の判決が確定した。しかし、貴広会の東京進出に手を焼いていた関東のヤクザ組織からは称賛を受けたという。

 <参考文献>

 『抗争』(溝口敦、小学館、2012)