1、抗争
昭和62年(1987) 東組vs四代目山口組系杉組・須藤組
2、経過
(1)、きっかけ
①、組員の引き抜き
・四代目山口組系杉組内五友会を除籍となった組員を、東組系滝本組が拾ったことにより、五友会と滝本組間で一触即発の状態となった。
②、選挙活動でのトラブル
・五友会会長・田中五男の実弟が、統一地方選で保守系議員の支援活動を行っていた時、ウグイス嬢をつとめた女の子が何らかのトラブルにより辞める辞めないの話となった。この女の子が滝本組幹部に相談をしたことにより、五友会と滝本組間でさらに緊張が高まった。
(2)、五友会事務所での乱闘(東組→四代目山口組系杉組)
・昭和62年(1987)4月20日、大阪堺市の四代目山口組系杉組内五友会事務所に、東組系滝本組組員が乱入し、乱闘となった。さらに滝本組は、五友会会長宅にも発砲を行い、4月22日まで五友会系事務所へ波状攻撃を行った。これに対して、五友会も返しとしてカチ込みを行った。
(3)、須藤組組員射殺事件(東組→四代目山口組系須藤組)
①、杉組と須藤組の関係
・杉組系五友会と須藤組系池田組は普段から昵懇で、双方の組員が事務所を行き来していた。よって、東組は杉組だけではなく須藤組も攻撃の対象とした。
②、事件
・昭和62年(1987)4月27日、堺市内の交差点で、四代目山口組系須藤組内池田組組長の乗用車が信号待ちをしていたところ、東組系滝本組組員が発砲をした。これにより自動車を運転していた池田組組員が射殺された。
(4)、山口組の返し(四代目山口組→東組)
①、野村組幹部襲撃事件
・昭和62年(1987)5月6日、三重県尾鷲市にある東組系野村組事務所前で、野村組幹部が山口組系ヒットマンに襲撃され、重傷を負った。
②、東組舎弟射殺事件
・同年5月16日、堺市内の病院で入院をしていた東組総長・東清の舎弟が、病院のベットの上で山口組系ヒットマンに射殺された。
(5)、須藤組本部襲撃事件(東組→四代目山口組系須藤組)
・昭和62年(1987)5月17日、大阪ミナミの繁華街の端にある須藤組本部を、東組系関谷組組員・木村雄治が襲撃をした。木村は、須藤組事務所にいた須藤組の幹部達に立て続けに発砲をし、2人を射殺した。
(6)、山口組対立抗争事件総合対策本部
・昭和62年(1987)5月18日、大阪府警は「山口組対立抗争事件総合対策本部」を立ち上げ、両者に抗争中止を勧告して取締まりを強化した。この後発砲事件が2件おきたのみで、抗争は膠着状態となった。さらに大阪府警は、東組総長・東清や五友会会長・田中五男ら双方で53人の組員を逮捕していった。
(7)、東組幹部射殺事件(四代目山口組系須藤組→東組)
・昭和62年(1987)9月23日、大阪の住之江競艇場近くで、東組系柴田組幹部が、待ち伏せをしていた四代目山口組系須藤組組員によって射殺された。
(8)、須藤組本部トラック襲撃事件(東組→四代目山口組系須藤組)
・昭和62年(1987)10月5日、東組は返しとして、須藤組事務所へ二トントラックを突っ込ませ、発砲をした。
(9)、手打ち
・過激化する抗争に対して、四代目会津小鉄会や五代目酒梅組、さらには稲川会も和解工作に乗り出し、昭和62年(1987)10月28日、京都の料亭で手打ち式が行われた。
<参考文献>
『闘いいまだ終わらず 現代浪華遊侠伝・川口和秀』(山平重樹、幻冬舎、2016)
<参考文献>
『闘いいまだ終わらず 現代浪華遊侠伝・川口和秀』(山平重樹、幻冬舎、2016)
実際は実力者山谷一男に行けと言われていった。当時の山谷は須藤の金庫番。義理の弟で舎弟。若頭の丹羽の兄ちゃんですら山谷死後もわしはカーボー兄さんの三男やと言っていた。
嫁さんは超超超美人。貴子さんやったかな?
広島のお父さんお母さんもすごくいい人やった。空手道場の噂もあったけど。
でも行けと指示した実力者山谷が破門。表向きの理由は5代目よりも立派な家を建てたため。ほんまは当時最強の中野会山重若頭と急接近し、須藤組長を馬鹿にして歩き中野会入りを勝手に目指す→当時春宮団地の利権を持ったまま。→しのぎを返さないと丹羽君たちがあんたを殺しにこなあかんねやでと京子姐さんに説得され利権は須藤組へ。怒った山重は山谷を逝かせる。常盤の兄ちゃんは不憫や。丹羽の兄ちゃんともタメグチでしゃべれる大物。その後当時の高速コピー機がETC化で大打撃を受け、追い打ちで丹羽の若頭がひき逃げ。残酷な世界や。