NHKラジオ第2で放送されている文化講演会で、熊倉功夫氏が「和食文化を再考する」という題名で興味深い講演をされていました。
「東南アジアから東アジアと全部箸を使っております。ですから、箸は日本だけではないのでありますが、日本の箸の特徴は何かといいますと、一人ずつ銘々が自分の箸を持っているということです。これはなかなか東南アジアでもないことなんですね。日本人は何故自分の箸を持つのか。日本人は箸だけではなく、湯飲みであるとか、飯茶碗についても自分の物を持っています。何故、そういう風に個人所有なのか。私は、日本人は唇が接するものについて潔癖なんだろうと思います。逆に言えば臆病なんだろうと思います。ですから、日本人は唇の接触について、いろいろなタブーを持っております。日本人は唇というものに関して、ある種の皮膚感覚として伝統的なものを持ち続けているんだろと思うんですね。ですから、そういう唇の接触するところに入ってきてしまうと、もう他人でなくなることになります。つまり、他人でなくなるための儀式は唇を共にすることなんですね。それの典型的なことが、盃の応酬でござます。今は宴会でやることはないと思いますが、40、50年前は上役が俺の盃なんて言ってやっていました。こういうのは今は裏社会しかないと思いますが、そういう風に盃を応酬することによって他人でなくなる儀式、これが今残っておりますのが、結婚式の三々九度でございます。あそこで新郎と新婦が盃をめぐらせる、はじめて唇を共にする、はじめてかどうかは分かりませんが、とにかく親戚縁者の前でははじめてということで、これが夫婦の契りになるというわけです。そのくらい日本人の唇に対する皮膚感覚というもの、潔癖さは非常に伝統的なものだと思います。」
日本人は唇が接触することについて非常に潔癖である、唇が接触するともはや他人ではなくなる、他人でなくなるようにするためには唇を接触させる儀式を行うというわけです。つまり、キスを嫌がる風俗嬢は、客とは他人でいたい、キスは他人ではない特別な人としたい、ということなのでしょう。他方、ヤクザの盃事は、他人ではない親分子分、兄弟分という特別な社会関係を築こうということなのです。キスを嫌がる風俗嬢の心理は、日本の文化に根付く自然なものだということになります。