稗史

社会の片隅で生きる人達の虚実織り交ぜた物語

ヤクザは何故存在するのか ヤクザが治安を守ってる説

1、ヤクザが裏社会の治安を守っている説

 (1)、意義

  ・ヤクザが、警察の手が行き届かない所の治安を守っているという言説は多くあります。

 (2)、実証

  ①、六代目山口組組長・司忍(平成23年(2011)10月1日の産経新聞のインタビュー)

   日本のやくざが行き過ぎだと思える法令、条例が施行されて以降、われわれが自粛している間に(外国人が)東京の池袋や新宿、渋谷、あるいは名古屋、大阪などのたくさんの中核都市に組織拠点をつくり、麻薬、強盗などあらゆる犯罪を行っている。これが今後、民族マフィアと化していったら本当に怖くなるだろう。こちらもおこがましいが、それらの歯止めになっているのが山口組だと自負している。

  ②、稲川会理事長・内堀和也(「特集 暴排条例を考える 任侠を社会に役立てよ」『月刊日本』2011年12月号(ケイアンドケイプレス、2011))

   我々が廃除された日本の将来がどうなるか知りたければ、夜の六本木を歩てみればいい。あそこが未来の縮図です。もはや日本の街ではなく、アフリカの歓楽街に迷い込んだかのようです。早朝ともなれば、15歳ぐらいの女の子が黒人と一緒にホテルに消えていく。また彼らは所詮外国人だから、日本社会に対する責任感がない。覚せい剤を年端も行かない子供に平気で売りつける。

   警察も我々を排除することに無駄な労力を使い、さらなる社会不安を招くよりも、我々を上手に使って、治安維持を強化すればいいのです。たとえば、我々は不良外国人や任侠に属さない悪ガキどもを見て、許せないと思いでいる。そして警察もそいつらには手を出さないし、出せない。だったら、我々をやつらにぶつければいい。我々は喜んで出かけていく。そして、ことがひと通り終わった後に、おもむろに警察が出てきて、外国人をいじめるんじゃない、と言って我々を処罰すればいい。我々は甘んじてそれを受け入れる。

  ③、二代目工藤連合会草野一家最高顧問・林武男(「ドキュメント・九州任侠界 クライシス21」)

   警察が言うように対策法ができた。日本のヤクザを壊滅させた、半減させたとしましょう。外国のマフィアが入ってきて、警察職員、警察官が26万人と言われておりますが、これでは対応ができません。日本は大混乱をきたしておると思います。(中略)少なくとも福岡県においては、我が一家のエリアにおいては、断固たる姿勢で、犠牲者が出ても(外国マフィアは)阻止していきます。それとまた自信もあります。

  ④、絆會会長・織田絆誠(『山口組三国志 織田絆誠という男』(溝口敦、講談社、2017))

   できることの一つは治安維持ですね。当局がどこまで把握しているかわかりませんが、来日不良外国人、特に中国、中東、アフリカ、ナイジェリアあたりが増えてきている。それと半グレ。オレオレ詐欺だけはやめなさいと。存在自体を撲滅するのではなく、一部の悪質な半グレには指導してやって、アウトローであっても、男らしい生き様を教えてやることはできる。(中略)それとテロ対策。当局のアンテナも立派なものがあると思いますが、我々裏社会特有のアンテナも同時にあります。当局の検挙率は低いんじゃないでしょうか。

  ⑤、元六代目山口組舎弟・後藤忠政(『憚りながら』(宝島社、2010))

   最近は、ヤクザが(使用者責任の関係から)身動きが取りにくくなっていることをいいことに、盃も受けていない連中、堅気の前ではヤクザのふりして、ヤクザの前では堅気のふりする「半ヤクザ」みたいな輩が堅気を喰いモノにしてるんだ。俺が三、四十代の頃なら、こんな奴らとっ捕まえて、クシャクシャにして、プロと素人の違いを教えてやったけど(笑)、こういう半端者は決まってサツにチンコロ(密告)するから、今のご時勢、そんなこともできないんだ。怪我でもさせたら、すぐに組織のトップの責任まで問われちゃうから。だから、こんな半ヤクザみたいな輩がデカイ面して道の真ん中歩いてても、現役の連中は手出しができずに相当、歯痒い思いをしてるんだよ。ヤクザを目の敵にしてギリギリ締め付け過ぎたばっかりに、逆にヤクザ崩れや半ヤクザみたいな、組織の掟も守れない、コントロールも利かないタチの悪い連中を増やしているんだから、皮肉なもんだ。

  ⑥、タケナカシゲル(『誰も書かなかったヤクザのタブー』鹿砦社、2018)

   300年あまりをさかのぼる江戸の中期に源流を持つ、任侠道という治安システムと、いっぽうで暴力団と呼ばれる犯罪組織のはざまに、ヤクザという文化はあやうく命脈をたもっている。ヤクザが関与してきた治安システムを変更することで、じつは戦後の愚連隊にも比すべき犯罪集団が生じかねない。半グレやアジア人犯罪の増加である。この治安構想を欠いたヤクザ締めつけ策は、きわめて視野が狭いものと言わざるをえない。

2、ヤクザのタガが外れると危険になる説

 (1)、意義

  ・ヤクザがあぶない人を囲っているから治安が保たれている、このタガが外れると危険になるという言説も多くあります。

 (2)、実証

  ①、三代目山口組組長・田岡一雄

   うちに来るのは皆、手のつけられない極道者ばかりだ。それでも、よそで100悪い事するところを、うちに来ると30くらいに抑えられる。それでいいと思うんや。

  ②、四代目山口組組長・竹中正久(『一家を守るために男は何をすべきか』(サンデー毎日特別取材班、KKベストセラーズ、1985))

   それでな、組を解散さして、どないするんや。警察はみんなの面倒見たってくれるんか。ウン?たとえば、組員が一万人おるとせんかい。その一万人をどうしたってくれるんかい。

   あんたらな、わしらがホンマに潰れる思うてるんか。サツは40年頃からわしらを潰しにかかっとる。それがどうや。20年たっても、変わらんやないか。それにな、わしらがやめるいうて、何か職でも世話してくれるんか。マスコミかてそうや。サツも国もそうや。いくとこもなしに、潰すいうたって潰れるかッ!わしらが地下に潜ったほうが、怖いんとちがうか。

  ③、四代目山口組若頭・中山勝正(『一家を守るために男は何をすべきか』(サンデー毎日特別取材班、KKベストセラーズ、1985))

   わしらが地下に潜ったら、マフィアみたいになるぞ。そうなったら、なんか事件が起きても、どこの組のどういうヤツかわからんやろ。下部の統制もとれんし、そうなると麻薬や覚醒剤も今以上に広がる。拳銃使う抗争事件だって、そりゃ起きてくる。統制とっとるから少ないのやからなあ、まだ。この統制の枠がはずれたら、日本中、大変なことになる。これ、山口組だけとちがうで。

  ④、六代目山口組組長・司忍(平成23年(2011)10月1日の産経新聞のインタビュー)

   やくざやその予備軍が生まれるのは社会的な理由がある。山口組には家庭環境に恵まれず、いわゆる落ちこぼれが多く、在日韓国、朝鮮人や被差別部落出身者も少なくない。このような社会の落伍者のよりどころになってきたのがやくざである。しかし、やくざという枠を外れると規律がなく、処罰もされないから自由にやる。そうしたら何をするかというと、すぐに金になることに走る。強盗や窃盗といった粗悪犯が増える。よって、これまで以上の任侠道に邁進し、組員ひとりひとりが普通の暮らしをし、犯罪をおかさないようにする。山口組では一般の人よりも長幼の序とか、そういうことは厳しく守られている。ホテルとか公共の場で徒党を組まないとか3人以上で歩かないとか、そういう面でも厳しくしている。暴力団をなくすために山口組を守りたいと考えている。

  ⑤、稲川会理事長・内堀和也(「特集 暴排条例を考える 任侠を社会に役立てよ」『月刊日本』2011年12月号(ケイアンドケイプレス、2011))

   我々を排除すれば、社会は格段に混乱し、治安は悪化するということです。(中略)不良としてやりたい放題やってきた若い子たちがこの世界に入ると、徹底してしつけられます。「覚せい剤には手を出すな、カタギの人には手を出すな、オレオレ詐欺なんてやるんじゃない」と、「ダメだ、ダメだ」の世界です。(中略)こうして、やりたい放題だった若い子たちを、弱気を助け強気をくじく任侠として、国家、社会に役立つ人間になるよう指導するのです。この任侠という世界を条例で排除してしまえば、若い子たちは上から「ダメだ」と言われることがなくなり、歯止めというものがなくなります。

  ⑥、タケナカシゲル(『誰も書かなかったヤクザのタブー』鹿砦社、2018)

   ア)、抗議をしないヤクザ

    組織のトップを通じた取材に「報道事故」や「クレーム」は皆無である。統制が効いているからだ。末端の若い者たちも「はいっ、親分から聞いております」「先生、今回はお世話になります」という感じで、違法なシノギでさえなければ日常的な稼業から失敗談にいたるまで、面白おかしく話してくれる。「自分にとっては、いい記念になりました」「先生、ありがとうございました。できたら記念に、写真のほうを送ってもらえんでしょうか」などという謝辞を送られたものだ。

   イ)、元ヤクザがいちばん怖い

    「組織の統制をはなれた元ヤクザほど恐ろしいものはない。愚連隊(死語)やチンピラ(古語)、あるいは半グレと呼ばれるヤクザの統制の外にいる無法者が危険なのだ」とし、博打で首が回らなくなって一家まるごと破門された組について記事化したら、「あのなぁ、あそこに書かれているのは、わしらのことやろ。わしらも菱(山口組)に復帰の芽がないわけやないんやで」と出版社に延々とクレームがきたという。

ヤクザ組織小史 住吉会 福田晴瞭(はれあき)の時代

1、福田晴瞭とは

 (1)、渡世入り

  ・昭和18年(1943)、千葉県で生まれた。中学生までは青森で過ごし、東京の高校に進学したことから一人暮らしを始めた。福田が16歳の時、銀座でトラブルを起こして小林会会長・小林楠扶と知り合い、そのまま渡世入りした。

 (2)、出世

  ・福田は、小林会の部屋住みからはじまり、若者総責任者、本部長と出世をしてゆき、平成2年(1990)に小林会の二代目を継承した。また住吉会においても、30代で常任相談役となり、その後も副理事長、理事長と出世していった。

2、住吉会会長・住吉一家総長となる

 (1)、住吉会会長となる

  ①、意義

   ・平成10年(1998)、福田は西口茂男の指名をうけて、住吉会の会長となった。平成14年(2002)、西口は住吉一家六代目のまま住吉会の「総裁」職についた。これにより、西口総裁ー福田会長の二人三脚の体制が成立した。

  ②、執行部改革

   ・平成14年(2002)、西口総裁ー福田会長の下に、「三役(理事長・幹事長・総本部長)ー八役(組織委員長・渉外委員長・諮問委員長・運営委員長・慶弔委員長・懲罰委員長・風紀委員長・事務局長)ー役員待遇ー執行部副会長」というラインを形成する大胆な執行部改革を行った。

 (2)、住吉一家七代目を継承する

  ①、意義

   ・住吉会の会長職を譲ったあとも西口は住吉一家六代目に留まっていたが、平成17年(2005)に、住吉一家総長の地位も福田へ譲った。これにより福田は、住吉会会長・住吉一家総長となり、大住吉のトップとなった。

  ②、執行部改革

   ・福田七代目体制の発足同時に、三役(理事長・幹事長・総本部長)を四役(本部長・理事長・幹事長・総本部長)とし、さらにその上に会長代行を新設した。この会長代行には、共和六代目・関功が就任した。

3、相次ぐ抗争事件

 (1)、時系列

  ①、二率会東京勢力の加入

   ・平成2年(1990)に発生した八王子抗争により、平成13年(2001)に二率会が解散し、東京勢力が住吉会へと加入した。

    参考)、ヤクザ抗争史 八王子抗争

  ②、四ツ木斎場事件(稲川会→住吉会)

   ・平成13年(2001)、東京都葛飾区にある四ツ木斎場で、向後睦会会長・熊川邦男が稲川会大前田一家小田組幹部・吉川一三と小田総業幹部・村上善男に射殺された。さらに、熊川の近くにいた住吉会滝野川一家総長・遠藤浩司と住吉会向後睦会松井組幹部・西村俊英にも命中し、遠藤は死亡、西村も重傷を負った。

    参考)、ヤクザ抗争史 四ツ木斎場事件

  ③、前橋スナック乱射事件(住吉会→元稲川会)

   ・平成15年(2003)、四ツ木斎場事件の時に見届人であったという噂の大前田一家元本部長・後藤邦雄が、前橋市にあるスナック加津で襲撃された。襲撃した住吉会幸平一家矢野睦会幹部・小日向将人と同幹部・山田健一郎は無差別乱射を行い、以前から命を狙われていた後藤は机の下に潜んで助かったが、なんの関係もない市民3人と後藤のボディーガードをしていた男性1人の計4人が射殺され、1人が重傷を負った。

    参考)、ヤクザ抗争史 四ツ木斎場事件

  ④、北関東抗争(住吉会⇔五代目山口組)

   ・平成15年(2003)、住吉会住吉一家親和会と五代目山口組弘道会が抗争を起した。

    参考)、ヤクザ抗争史 北関東抗争(栃木抗争)

  ⑤、浅草発砲事件(住吉会→五代目山口組)

   ・平成16年(2004)、浅草ビューホテル近くの住吉会中村会事務所に、貴広会組員50人が押しかけてた。その後、浅草ビューホテル一階の喫茶室で改めて話し合いに入ったときに、住吉会中村会香山組組員・片桐俊らが貴広会組員へ突然発砲し、中川総業組長・中川謙一と川口総業若頭・末吉民男が死亡、川口総業組長・川口京孝ら2人が軽傷を負った。

    参考)、ヤクザ抗争史 浅草発砲事件

  ⑤、西麻布抗争(六代目山口組→住吉会)

   ・平成19年(2007)、住吉会系小林会三代目会長・小林忠紘は、小林会系武州前川八代目の義理事へ出かけるので、小林の秘書役である小林会直井組組長代行・杉浦良一が迎えに行った。この時、六代目山口組五代目国粋会組員が、東京港区西麻布の路上に停めた車の後部座席に座っていた杉浦を、小林と勘違いをして射殺してしまった。

    参考)、ヤクザ抗争史 西麻布事件

  ⑥、埼玉抗争(住吉会⇔六代目山口組)

   ・平成20年(2008)、埼玉県八潮市で六代目山口組二代目小西一家二代目堀政連合系組織の相談役が住吉会住吉一家伊勢野会の幹部2人と、政治結社会長ら幹部4人の計6人に刺殺された。直後、埼玉県ふじみ野市にある住吉会住吉一家三角八代目の組事務所前で、同組の幹部が小西一家の組員に銃殺された。
   
    参考)、ヤクザ抗争史 埼玉抗争

 (2)、山口組との友好関係を築く
  
  ・六代目山口組は平和外交を進めていたが、住吉会とはさまざまな流血抗争が起こっていた。関東二十日会に加盟する5団体のうちで山口組と親戚関係にないのは住吉会だけであった。よって、平成23年(2011)、福田ら最高幹部が神戸に出向いて、出所してきた六代目山口組組長・司忍と会談し、翌日には山口組の最高幹部が住吉会本部を訪問をした。

4、特別相談役へ

 (1)、特別相談役へ

  ・平成26年(2014)、住吉会の会長職が福田から住吉会会長代行で住吉一家共和六代目・関功へ譲られた。福田は住吉一家七代目の地位には留まり、住吉会においては「特別相談役」という新設の地位についた。

 (2)、アメリカから経済制裁対象に指定される

  ・平成23年(2011)、オバマ政権はヤクザを国際的に活動する犯罪組織と認定し、翌平成24年(2012)には、山口組に続いて住吉会と西口、福田を経済制裁の対象に指定した。これにより、アメリカの資産が凍結され、アメリカの企業や個人と取引をすることが禁じられた。

<参考文献>

『住吉会総覧』(竹書房、2007)
『ヤクザ・レポート』(山平重樹、2002、筑摩書房)

ヤクザ組織小史 住吉会 西口茂男の時代

1、意義

 ・西口茂男の時代は、住吉会が連合体から組織へと変わっていく時代であった。住吉連合(会)には、堀政夫の人格を慕って全国のさまざまな博徒やテキヤ組織が集結していった。しかし、堀が亡くなったことによって、人間関係ではなく盃を交わすことによって制度による組織を構築する必要が生じた。これを反映して名称も「住吉連合会」から「住吉会」となっている。他方、西口の時代はバブル崩壊や暴対法の施行など、ヤクザが衰退していく時代のはじまりでもあった。

2、西口茂男とは

 (1)、渡世入り

  ・昭和4年(1929)に生まれる。住吉一家向後初代・向後平のもとで渡世入りし、博徒の修行に励んだ。そして、二十代の若さで部屋住みの責任者となっている。

 (2)、出世

  ・昭和31年(1956)に浅草妙清寺事件が起こり向後が亡くなると、住吉一家向後二代目を継承した。また、住吉一家においても、早くから幹部に登用され、理事長などの要職を担った。さらに、住吉連合会においても、会長まで上り詰めた。また、「バクチの天才」としても有名であった。

3、住吉会の会長へ

 (1)、住吉会の会長へ

  ①、意義

   ・平成3年(1991)に「住吉連合会」が発展的に解消して「住吉会」が立ち上げられ、住吉連合会会長である西口が住吉会の会長となった。さらに、住吉連合会総裁・堀政夫の逝去により空席となっていた住吉一家六代目も、西口が合わせて承継した。

  ②、直系制度の確立

   ・住吉連合会は、堀の人徳に惹きつけられた全国の博徒テキヤ組織の寄り合い所帯的な色合いが濃かった。しかし、堀が亡くなったので西口は、最高幹部及び各一家の当代や一部ナンバー2クラスとの間で親子盃を交わし、直系制度を確立した。

  ③、「副理事長」の新設

   ・平成4年(1992)、「会長ー副会長ー常任相談役ー相談役ー専任評議員ー常任評議員ー評議員ー代議員」の副会長の下に「副理事長」というポストを新設し、若手実力派組長117人を選出した。これは、住吉会傘下組織の急増により、常任相談役に就く者が約600人ほどになってしまったので、常任相談役の中で実力がある者を副理事長としたものである。

 (2)、指定暴力団になる

  ・平成4年(1992)、住吉会は山口組や稲川会とともに暴対法に基づく指定暴力団第一号となった。西口の口癖は「ヤクザの基本を忘れちゃ困る」であり、暴対法制定時も「ヤクザの基本を守って、常識を踏みはずさない限り、何も気にすることはないんだから、それほど神経をとがらせるな。それより、いまこそわれわれが襟を正す時期にきてるんだ」と語った。

 (3)、「平和共存・内政不干渉」路線の継承

  ①、親戚関係の構築

   ・西口は、堀の「平和共存・内政不干渉」路線を継承し、平成4年(1992)には稲川会と、翌平成5年(1993)には国粋会と親戚となり、さらに平成5年(1993)に西口は、稲川会会長・稲川裕紘と国粋会会長・工藤和義との兄・舎弟盃の取持人を務めた。

  ②、相次ぐ加入

   ・平成3年(1991)には、西海家総連合会、東京盛代錦戸連合会、東京盛代盛永会が、翌平成4年(1992)には、義人党が解散して武蔵屋一家として住吉会へ加入した。

4、住吉会の総裁へ

 (1)、意義

  ・平成10年(1998)、西口は住吉一家六代目のまま、住吉会会長を住吉一家小林会二代目会長・福田晴瞭(はれあき)に譲り、平成14年(2002)に住吉会の総裁となった。平成17年(2005)には、住吉一家総長の座も福田に譲った。

 (2)、アメリカから経済制裁対象に指定される

  ・平成23年(2011)、オバマ政権はヤクザを国際的に活動する犯罪組織と認定し、翌平成24年(2012)には、山口組に続いて住吉会と西口、福田を経済制裁の対象に指定した。これにより、アメリカの資産が凍結され、アメリカの企業や個人と取引をすることが禁じられた。

5、逝去

 ・平成29年(2017)、逝去。享年88歳。

<参考文献>

『住吉会総覧』(竹書房、2007)
『ヤクザ・レポート』(山平重樹、2002、筑摩書房)

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