1、意義

 ・大阪の老舗博徒組織。ヤクザの激戦区西成で、東組とともに一本独鈷を貫く。

2、来歴

 (1)、初代鳶梅吉

  ・明治中期、鳶梅吉が結成する。その賭場は大いに栄えてその勢力は総勢2000人とも言われるほどであった。昭和6年(1931)に鳶梅吉が亡くなる。

 (2)、二代目田中勇吉

  ・鳶梅吉の後は田中勇吉が二代目を継いだ。しかし、昭和10年(1935)に亡くなり、その後は日中戦争から太平洋戦争の時代ともあいまって、賭場を開くこともままならずに活動を停止する。

 (3)、三代目松山庄次郎
  
  ①、酒梅組の再興

   ・戦後酒梅組の再興を成し遂げたのが松山である。治安維持のため警察の要請に応じてそのお目こぼしで賭場が開けるようになり、それにより活性化してゆく。松山の時代が酒梅組の第一期の黄金期となる。

  ②、全日本プロレス協会設立

   ・松山は三代目山口組組長・田岡一雄とも兄弟分であり、自ら会長となって「全日本プロレス協会」を設立した。その役員には田岡の名前も連ねている。

 (4)、四代目中納幸男

  ・昭和36年(1961)に松山は亡くなった。四代目は中納幸男か、審良(あきら)誠一かと数年間争いが起こったが、菅谷政雄と五分の兄弟分となり、また田岡一雄の後押しもあって、昭和39年(1964)に中納が四代目を継承した。多くの組員の離脱や第一次頂上作戦などにより勢力を衰退させたが、中納は15年間酒梅組を守りきった。

 (5)、五代目谷口正雄

  ①、戦後最大規模での継承式

   ・中納は昭和54年(1979)に健康上の理由から引退する。跡目は四代目体制の中で長く若頭を務めてきた谷口が継承した。この谷口の継承式には、親戚総代で三代目山口組組長・田岡一雄、推薦人で稲川会会長・稲川聖城、工藤会会長・工藤玄治、諏訪一家総裁・諏訪健治、三代目会津小鉄会総裁・図越利一が列席し、戦後最大規模の継承式として語り草となる。谷口の時代の酒梅組は、組員1800から2000人を数え、第二期の黄金期となった。

  ②、新大阪戦争

   ・昭和58年(1983)、西成の本拠をおく一本独鈷の組織である東組との間で死傷者7人を出す新大阪戦争を繰り広げた。

    参考)、ヤクザ抗争史 新大阪戦争

  ③、会津小鉄会との兄弟盃

   ・昭和62年(1987)、稲川会二代目会長・石井隆匠の取持ちで、谷口と四代目会津小鉄会長・高山登久太郎が五分の義兄弟盃を交わした。

  ④、指定暴力団になる

   ・平成5年(1993)に暴対法指定された際の聴聞会で、「国が定めた法律に従うのは国民の義務。酒梅組が暴対法適用の要件を満たしているならば、受け入れざるを得ない。」と述べて指定暴力団を受け入れた。

 (6)、六代目大山光司

  ・谷口の死去後、跡目継承に難航した上で、平成8年(1996)に舎弟補佐を務めていた大山光司が六代目を継承した。この時に、かなりの組員が山口組へ移籍したり、カタギとなったりした。しかし、平成11年(1999)に多額の借金を抱えていたことにより失踪してしまう。

 (7)、七代目金山耕三朗

  ①、就任

   ア)、就任

    ・組長の失踪という前代未聞の事態に、平成11年(1999)、舎弟頭で韓国の七星会の会長と兄弟盃を結んだことでも知られる金山耕三朗が、七代目を継承した。金山は「抗争なき平和共存」を提唱して他団体とも密接に交流をし、山口組が六代目体制となると、六代目山口組若頭・髙山清司が後見人となった。

   イ)、親和銀行不正融資事件

    ・平成10年(1998)、長崎県佐世保市にある親和銀行の元頭取らが、不正融資をしたということで、商法の特別背任容疑で逮捕された。この事件は、元頭取が女性と一夜を共にしたビデオが撮影されてしまい、これをネタに山口組系の右翼団体が街宣をかけたことによる。元頭取は仲介者を介して、当時酒海組系金山組組長であった金山に解決を依頼した。金山は右翼団体等と話し合ってこのトラブルを解決し、その後、親和銀行から巨額の融資を引っ張った。

  ②、松浪健四郎代議士秘書給与肩代わり問題

   ・平成15年(2003)、保守新党の松浪健四郎代議士が、酒梅組組員が実質的に経営する建設会社に、私設秘書の給与275万円を肩代わりさせていたことが発覚し、問題となった。

  ③、酒梅組の衰退

   ・警察の圧力や遊びにくるお客さんの高齢化により、盆中の博奕が急激に開けなくなっていった。

  ④、動画

   ・竹垣悟氏が金山会長について語っています。



    太田守正氏も著書『血別 山口組百年の孤独』の中で、あまりよい事は言っていませんが、金山会長について語っています。

 (8)、八代目南喜雅

  ・金山が平成21年(2009)に突然の引退を表明する。この後、しばらくは酒梅組傘下の森下連合で渡世入りして、七代目体制の中で若頭や舎弟頭を務めてきた組長代行・南喜雅をはじめとする暫定政権で組織運営をした後に、平成22年(2010)に正式に南喜雅が八代目に就任した。この継承式でも、髙山が後見人、名代として二代目弘道会若頭・竹内照明や、取持人として六代目山口組統括委員長・橋本弘文も列席するなど山口組との関係を強くした。なお、六代目山口組三代目弘道会三代目髙山組組長・南正毅は実子である。

 (9)、九代目吉村光男

  ①、就任

   ・平成25年(2013)に南が病気療養のために引退した。九代目は、谷口五代目の子飼いの若衆であり、自らは天竜会を率いて五代目体制では若頭補佐、八代目体制では舎弟頭を務めてきた吉村光男が継承した。この継承式でも、髙山が後見人、橋本が取持人となっている。

  ②、神戸山口組組長・井上邦雄との仲

   ・平成27年(2015)、六代目山口組から神戸山口組が分裂した。吉村は神戸山口組組長・井上邦雄と兄弟分であったことから、六代目山口組の後見を白紙とし、神戸山口組支持を表明した。

 (10)、十代目木下政秀

  ①、就任

   ・平成30年(2018)、九代目体制で若頭を務めていた木下政秀が十代目組長を継承し、吉村九代目は総裁職に就いた。

  ②、吉村総裁の逮捕

   ・令和2年(2020)1月、吉村は、2億円の融資を受けながらその後会社の倒産により返済を免れた不動産会社社長を殴って怪我をさせたとして、さらに同年2月には、吉村と神戸山口組山健組若頭補佐・藤岡宏文が、同じ不動産会社社長に金を返すように迫り、1500万円を脅し取ったとして逮捕された。その後、吉村は懲役3年の実刑判決を、藤岡は懲役2年6か月執行猶予5年の判決を受けた。

<参考文献>

『反社会勢力』(笠倉出版社、2014)
『山口組三国志 織田絆誠という男』(溝口敦、講談社、2017)
『血別 山口組百年の孤独』(太田守正、サイゾー、2015)