今回は、『住吉会総覧』(竹書房、2007)、『反社会勢力』(2014、笠倉出版社)、『ヤクザ伝』(山平重樹、2000、幻冬舎)より、住吉会の歴史をまとめます。

1、意義

 ・元は幕末に伊藤松五郎がおこした住吉一家である。昭和33年、住吉一家三代目・阿部重作の時に、住吉一家を含む関東の博徒・テキヤ・愚連隊など二十八団体を結集して連合組織としての「港会」が結成された。この連合組織はこの後、「港会」-「住吉会」ー「住吉連合」ー「住吉連合会」ー「住吉会」と名称を変えている。他方で、この連合組織に所属の団体は住吉一家への加入が進み、現在、連合組織である「住吉会」を構成する組織は住吉一家と幸平一家のみとなっている。

2、住吉一家初代・伊東松五郎

 (1)、発足
 
  ・住吉一家初代の頃は資料が残っていないので不明な点も多いが、現在住吉一家では明治初期に博徒として広く知られた伊東松五郎を住吉一家の初代としている。

 (2)、伊東松五郎とは

  ・伊東は、弘化3年(1846)に日本橋住吉町(現在の日本橋人形町)に生まれた。若いころは「住吉の梅」と呼ばれて、相当な暴れん坊であった。住吉一家の総長になった頃は博徒として活躍し、大正9年10月25日に亡くなった。享年75歳。

3、住吉一家二代目・倉持直吉

 ・明治10年に茨城県水海道で博奕打ちの家系に生まれた。若い頃に兄貴分の仇討ちで人を斬り12年近くの凶状旅をつづけた。大正7年、病没直前の伊東初代から住吉一家を継承し、約30年間守り続けた。

4、住吉一家三代目・阿部重作

 (1)、渡世入り

  ・明治28年に新潟で生まれた。横浜で沖仲士をした後に東京へ行き、生井一家系の武部申策の流れをくむ住吉一家の客分であった高木康太の盃をうけて渡世入りし、長く代貸をしていた。

 (2)、港湾労働

  ・高木は芝浦に労務供給業高木組を設立し、東京湾の埋立工事への労働者の派遣を行った。阿部は高木の代貸をつとめる一方で、昭和12年に和泉海運の下請けとなって東京湾での足がかりをつくった。山口組が神戸港の港湾荷役から生まれたように、住吉一家も東京湾の港湾の仕事から大きくなっていった組織である。

 (3)、住吉一家総長へ

  ・高木は芝浦を縄張りとした住吉一家の客分であった。この高木が媒介となって阿部と住吉一家との間の縁が生まれた。倉持二代目は高木の代貸であった阿部を気に入り、昭和23年に阿部は住吉一家の三代目を襲名した。この住吉一家三代目継承によって、阿部は東京湾の港湾労働について確固たる基盤を築き、「芝浦」と言えば住吉一家をさすようになった。

 (4)、「港会」の結成

  ・昭和31年に、住吉一家向後・向後平と住吉一家大日本興行・高橋輝夫が浅草妙清寺で営まれた葬儀の席で銃撃戦をおこない、両者射殺されるという事件がおった(浅草妙清寺事件)。阿部はこの事件の教訓として組織改革を断行し、昭和33年に、関東の博徒・テキヤ・愚連隊など28団体を結集して「港会」を結成した。港会の会長には阿部の代貸である高橋浅太郎の系譜に連なる青田富太郎が就任した。

5、住吉一家四代目・住吉会会長磧上(せきがみ)義光

 (1)、就任

  ・昭和37年、阿部三代目が引退しその跡目は上萬一家の貸元であった磧上義光が襲名した。

 (2)、「港会」を「住吉会」へ

  ・昭和39年、磧上は連合組織である「港会」を「住吉会」に改めて自らその会長となった。

 (3)、関東会の理事長

  ・関東ヤクザの親睦団体である「関東会」の二代目理事長に、松葉会会長・藤田卯一郎の後をうけて就任した。

 (4)、住吉会解散

  ①、第一次頂上作戦

   ・昭和39年頃から、広域暴力団に指定する山口組、本多会、住吉会、錦政会、日本国粋会、松葉会、日本義人党、北星会、東声会、柳川組の10団体を集中的に壊滅させようという、第一次頂上作戦がはじまった。

  ②、磧上の逮捕

   ・昭和39年度中に住吉会の検挙者は1021人、磧上も昭和39年に神奈川県の旅館で行った阿部三代目の引退見舞いとしての総長賭博を行った角で、昭和40年に逮捕された。

  ③、住吉会の解散

   ・昭和40年に連合組織である住吉会は解散した。磧上は昭和42年に病没した。享年53歳。

 (5)、解散前後の住吉会

  ・昭和40年2月19日の朝日新聞によると、この頃の住吉会は東京中心に埼玉、千葉、栃木、群馬など十と県に勢力が及び、構成人数は約3800人。幹部は港湾荷役、運送業、不動産業、料理やなどを経営しているが、バクチを常習とし、債権取り立てや民事介入事件などを資金源としている、と報道されている。

6、住吉一家五代目・住吉連合(会)代表(会長、総裁)・堀政夫

 (1)、就任

  ・大正14年に長崎県佐世保市で生まれ、倉持二代目の貸元の一人である井出六蔵との縁で渡世入りをした。昭和42年、わずか42歳の若さで住吉一家の五代目を継承した。

 (2)、旧「住吉会」を結集して「住吉連合(会)」結成

  ・堀は昭和44年、旧「住吉会」の組織を結集させて「住吉連合」を結成して、自ら代表に就任した。昭和57年に「住吉連合会」と改称し、堀は会長職についた。さらに、昭和63年には総裁制を導入し、堀が総裁職につき、川口喨史会長・西口茂男理事長・小林楠扶本部長という新執行部体制を発足させた。

 (3)、名門一家を住吉連合に引き入れる

  ①、旧「友愛会」

   ・昭和33年、幸平一家の本橋政夫、土支田一家の杉原繁雄、滝野川一家の福原陸三、二本木小川一家の西沢福司の4博徒が集まって「友愛会」が結成された。この友愛会は自然消滅していたが、住吉連合に丸ごと加盟をした。

  ②、親和会

   ・栃木を中心に茨城や群馬の一部まで勢力を張っている屈指の名門組織である親和会も住吉連合に加盟した。

  ③、丸唐会
   
   ・福島県いわき市に本拠を置く名門組織の丸唐会も住吉連合に加盟した。

 (4)、組織改革

  ①、昭和57年の組織改革

   ア)、名称
   
    ・「住吉連合」から「住吉連合会」とした。

   イ)、代表の名称

    ・堀も住吉連合代表から、住吉連合会会長と名称が変わった。

   ウ)、副会長職の新設

    ・住吉連合時代は、「代表ー常任相談役ー相談役ー常任評議員ー評議員ー代議員」という順序で役職が並んでいたが、組織改革により副会長職が新設され、「会長ー副会長ー常任相談役ー相談役ー専任評議員ー常任評議員ー評議員ー代議員」という順序となった。

   エ)、名誉職の新設

    ・功労者の長老や先輩諸氏のために、「名誉顧問」「常任顧問」「特別参与」などの名誉職を新設した。

  ②、昭和63年の組織改革

   ・新たに総裁制を導入し、「堀政夫総裁ー川口喨史会長ー西口茂男理事長ー小林楠扶本部長」という体制となった。しかし、川口会長と小林本部長が相次いで亡くなったことなら、平成2年に「堀正夫総裁ー西口茂男会長ー沼澤春男理事長ー鈴木康夫本部長」というラインに加えて6人の会長補佐、13人の副会長という体制を敷いた。 

 (5)、堀代表(会長、総裁)時代の住吉連合(会)

  ・昭和58年の警察庁の調べによると、住吉連合会は24都道府県にまたがり、113団体6600人の構成員までに拡大した。堀総裁は平成2年10月に肝硬変で亡くなった。享年65歳。

7、住吉一家六代目・住吉会会長・西口茂男

 (1)、就任

  ・平成3年、「住吉連合会」が発展的に解消して「住吉会」が立ち上げられ、住吉連合会会長・西口茂男が住吉会の会長に就任した。さらに、住吉一家五代目でもあった堀死去後空席になっていた住吉一家六代目の代目も、西口が合わせて承継した。

 (2)、盃直しをはじめて行う

  ・住吉会は連合体の組織なので、いままでは代目継承にあたって当代と最高幹部ら直参との間で新たに舎弟、親子の盃を交わすことが行われなかった。しかし、西口の時代にはじめて親子盃による直系制度を確立させた。

 (3)、指定暴力団になる

  ・平成4年、住吉会は山口組や稲川会とともに暴対法に基づく指定暴力団第一号となった。

8、住吉一家七代目・住吉会会長・福田晴瞭(はれあき)

 (1)、住吉会会長となる

  ・平成10年、西口直々の指名によって、住吉会理事長であり住吉一家小林会二代目の福田晴瞭が住吉会の会長職についた。平成14年には西口は住吉一家六代目のまま住吉会の「総裁」職についていた。西口時代は代目継承の盃直しを行ったが、福田時代は行われていない。

 (2)、住吉一家七代目を継承する

  ・住吉会の会長職を譲ったあとも西口は住吉一家六代目に留まっていたが、平成17年に、住吉一家七代目の地位も福田晴瞭へ譲った。



 (3)、山口組との友好関係を築く
  
  ・六代目山口組は平和外交を進めていたが、住吉会とは「新東京戦争」「仙台抗争」「埼玉抗争」などさまざまな流血抗争が起こっていた。関東二十日会に加盟する5団体のうちで山口組と親戚関係にないのは住吉会だけであった。よって、平成23年、福田会長ら最高幹部が神戸に出向いて、出所してきた六代目山口組組長・司忍と会談し、翌日には山口組の最高幹部が住吉会本部を訪問をした。

9、住吉会会長・関功

 (1)、就任

  ・平成26年、住吉会の会長職が福田から住吉会会長代行で住吉一家共和六代目・関功へ譲られた。福田は住吉一家七代目の地位には留まり、住吉会においては「特別相談役」という新設の地位についた。西口時代に行われ、福田時代には行われなかった盃直しが、関時代には再び行われて、63名の舎弟と22名の子が関から盃を受けた。

 (2)、山口組との友好関係

  ・関の住吉会会長継承に際して、六代目山口組からは橋本弘文統括委員長ら最高幹部が住吉会本部にお祝いに駆けつけた。関会長ら住吉会の最高幹部も、後に神戸の山口組本部と訪れて、六代目山口組組長・司忍と会談をした。