今回は、『ヤクザ伝』(山平重樹、2000、幻冬舎)より、青森の松野会の歴史をまとめます。

1、意義

 ・八戸を本拠として青森県南部から岩手県久慈市、二戸市という広範な地域を庭場に持ったテキヤ組織。その後、山口組入りした。

2、「暴力団汚染地区」八戸

 (1)、「暴力団汚染地区」八戸

  ・昭和44年、警察庁は八戸を含む全国四十四ヶ所を「暴力団汚染地区」に指定した。

 (2)、なぜ八戸は指定されたのか

  ・八戸は漁港であるので気の荒い漁師が、近くに三沢米軍基地があるので米兵が、またヤクザ勢力が一本化していなかったのでヤクザ勢力があわさり、喧嘩が絶えない都市であった。

3、松野会

 (1)、松野会の結成

  ①、意義

   ・源清田松野は、初代松野喜三郎、二代目泉山重吉、三代目大友加津己、四代目山地建夫と継承され、昭和48年に相馬正男が五代目を継承した。相馬は松野会と実子分会の結成によって、八戸は源清田松野会一本となった。

  ②、松野会の結成

   ・相馬は、「暴力団汚染地区」に指定されていた八戸において、派閥の解消と松野一門の一本化をし、松野一門を糾合して「松野会」を結成した。

  ③、実子分会の結成

   ・相馬は、松野一門の実子分の親睦を目的として、一門の実子分を結集して実子分会を組織した。

 (2)、山口組入り

  ・その後松野会は、山口組系浅川組の傘下となり、浅川会が解散した後は、二代目宅見組の傘下となった。