以前、朝まで生テレビでの四代目会津小鉄会会長・高山登久太郎のコメントをまとめました。今回は、『京都と闇社会』(宝島社、2012、一ノ宮美成+湯浅俊彦+グループ・K21)より、実際にこの頃の四代目会津小鉄会の経済的基盤はどのようなものだったのかについてまとめ、高山氏の発言と比較してみます。

 参考)、「朝まで生テレビ!  激論!暴力団はなぜなくならないか」のメモ ヤクザのシノギを奪う警察 

1、来歴

 (1)、出生

  ・高山は、1928年に大阪で在日韓国人の子として生まれた。少年時代は喧嘩に明け暮れ、逮捕されて工業高校を退学した。刑務所を出所したら徴用工として軍需工場で働き、終戦後は両親や兄弟は韓国へ引き上げたが、高山は一人日本に残り肉体労働に従事した。

 (2)、渡世入り

  ・高山は京都の中川組で渡世入りした。その後出世をし、1969年には中川組二代目組長となり、組員700人まで拡大させた。さらに、1986年には四代目会津小鉄会会長となった。

 (3)、万和建設

  ・高山は中川組若頭時代に、万和建設という砂利の採取・販売をする会社を設立した。この会社は急成長し、ダンプ6,70台をフル稼働させていたが、警察の指示で解散をし、社員を生コンや土木、建設業者などに独立させた。

2、四代目会津小鉄会の経済的基盤

 (1)、用心棒代

  ①、土木建設業者

   ・京都で土木建設工事を行う時、地元対策費、下請け、警備などの名目で、一般の工事では工事費の1~3%、公共事業におては工事費の0.8%が会津小鉄会に収められていた。

  ②、雄琴のソープランド業者

   ・高山は商事会社を作り、これを通して雄琴のソーブランド業者に飲料水、タオルやせっけんなどを納入する代わりに、用心棒代を月平均10万円前後おさめさせていた。ここからあがる儲けは膨大になったという。

  ③、佐川急便

   ・京都に本社を置く佐川急便は、用心棒代として会津小鉄会に月1000万円を払い、佐川急便の運送業務にかかわるトラブル処理や、佐川清会長宅の警備を行わせていた。これによって、1979年頃から十数年間にわたって総額15億円が、佐川急便から会津小鉄会に支払われたという。

 (2)、京都の地上げ

  ・バブルの時代、不動産業者は買収のスピードが求められた。地権者をいちいち説得したり裁判に訴えていたのでは時間がかかりすぎることから、ヤクザの威嚇力が求められた。会津小鉄会は、京都市内の地上げを一手に引き受けて膨大の儲けをあげていた。

 (3)、解体業

  ・会津小鉄会舎弟頭・丸岡鉄太郎は、寺村組長として、開発のすすむ伏見や府南部を地盤に、家屋解体業で急成長していった。

 (4)、公衆電話ボックス

  ・京都の繁華街にある公衆電話ボックスに貼り付けられたデートクラブの客集めのビラは、会津小鉄会傘下の二組織が貼る場所を仕切って資金源としていた。

3、まとめ

 ・高山氏が主張するように、ヤクザのしのぎが警察に潰され、奪われていったその結果として、グレーゾーンから非合法事業へシフトしていったのは事実のようです。ただし、この頃の会津小鉄会はバブルも相まって、用心棒代や地上げなどでかなり儲けていました。その象徴が総工費20億と言われ「会津会館」なのでしょう。なお、高山氏の暴力団新法反対運動に対しては、会津小鉄会の組員からも「おやじも警察ににらまれるようなことばかりやってたら損とちゃうか」という声が上がったそうです。