稗史

社会の片隅で生きる人達の虚実織り交ぜた物語

日本部落史(38) 部落地名総鑑事件

1、意義

 ・被差別部落の人々は就職差別に一貫して苦しんできた。そのような中で、昭和40年代後半(1970年代)に入ると、同和地区出身者に対する就職差別反対運動が起こってきた。

2、応募用紙の規格化
 
 ・企業への応募用紙(いわゆる社用紙)には、本籍や出生地のほかに思想、宗教、支持政党など就職差別につながるおそれがある項目が多く含まれていた。そのため、昭和46年(1971)に近畿各府県の関係機関が協議をして、これらの項目を削除した近畿高等学校統一応募用紙を作成した。この取り組みはその後の全国統一応募用紙の制定や、日本工業規格、いわゆるJIS規格化へと広がっていった。

3、部落地名総監事件

 (1)、事件

  ①、意義

   ・昭和50年(1975)、興信所「企業防衛懇話会」の経営者が、全国の被差別部落の地名・所在地・戸数・職業などを掲載した『人事極秘 特殊部落地名総監』を販売した。この書籍の売り込みチラシが部落解放同盟大阪府連に知られたことにより、「地名総監」の存在が明るみに出た。この書籍は、合計53冊が販売されており、購入先は大企業が多かった。その他「地名総監」は、『全国特殊部落一覧』『全国特殊部落リスト』『大阪府下同和地区概況』『日本の部落』など昭和53年(1978)までに9種類が確認された。

  ②、明るみに出た就職差別

   ・企業は、部落の子は乱暴で職場で仲間とゴタゴタを起こす、被差別部落は犯罪の温床である、被差別部落民の背後に運動団体が見えかくれするなどという理由で、応募書類の住所から同和地区出身者かどうかを割り出すために「地名総監」を利用していた。

  ③、どのようにして作成されたのか

   ・これらの「地名総監」は、昭和11年(1936)に中央融和事業協会が作成した『全国部落調査』が原典であった。この資料は、部落問題研究者には歴史的資料として活用されてきたものである。

 (2)、影響

  ①、販売者

   ・販売した経営者は、部落解放同盟の糾弾を受け、販売された書籍は法務局が回収して焼却処分した。

  ②、企業

   ア)、同企連・企同連の結成

    ・部落解放同盟は、「地名総監」を購入した企業の責任を求めた。この結果として、大企業は「同和問題企業連絡会」(同企連)に、中小企業は行政主導で結成された「企業同和問題推進連絡協議会」(企同連)に加盟することとなった。これらの団体は、部落解放同盟と企業を連携させる役割を持ち、定期的な部落問題に関する研修が行われるようになった。

     cf.同企連には、トヨタ、NTTなど大企業が加盟しており、年間数十万円と高額であり。他方、企同連は年間数千円程度ですむ。

   イ)、同和枠

    ・企業が部落民を優先雇用する「同和枠」が行われるようになった。

  ③、旧労働省

   ・旧労働省の職業安定局雇用促進課は、企業に同和問題の正しい理解と公正な採用を促した。また、「企業内同和問題研修推進員」という制度も作られた。

  ④、「どこが部落か」がタブーとなる

   ・事件以前は、部落の場所を隠さなければならないとう考えはなかったが、この事件以後は「どこが部落か」は完全にタブーとなった。これ以後も、部落史研究者の塩見鮮一郎や広島法務局人権擁護部長が「地名総監」自体には問題がなくこれを就職差別に使うことが悪いと発言をしたが、部落解放同盟は「地名総監」は差別目的以外に利用価値はない差別図書であるとして批判した。

<参考文献>

『近代部落史』(黒川みどり、平凡社、2011)
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)
人権啓発ビデオ 人権アーカイブシリーズ「同和問題 ~過去からの証言、未来への提言~」

日本部落史(37) 狭山事件

1、事件

 ・昭和38年(1963)に、埼玉県狭山市で高校一年生の少女に対する強盗強姦殺人事件が起こった。被差別部落出身の貧農・石川一雄が別件逮捕の上、捜査官の誘導によって自白する。第一審で死刑判決が出た後、控訴審において石川は犯行を否認した。東京高裁は死刑判決を破棄して無期懲役を宣告し、最高裁判所も上告を棄却したことから、昭和52年(1977)に判決が確定する。その後、再審請求や特別抗告が行われたが、それらはすべて棄却された。

2、司法闘争

 (1)、冤罪疑惑

  ①、警察の焦り

   ・事件の一ヶ月前に起こった村越吉展ちゃん事件で、警察は犯人を取り逃がすという失態を演じており、信用回復のために犯人逮捕に焦っていた。よって、別件逮捕により捜査がはじめられ、「自白すれば10年で出してやる」と石川を誘惑して自白を引き出し、その自白に基づいて裁判が行われた。さらに、被害者の所持品であった万年筆が石川の家で何度も行われた家宅捜索でも見つからなかったのに、後の家宅捜索で比較的目につきやすい場所から発見されるという不自然な事を起こった。

  ②、被差別部落は犯罪の温床という認識

   ・当時は、被差別部落は犯罪の温床であるという偏見があった。よって、被差別部落の人間が犯人として疑われた。

 (2)、運動

  ①、運動の盛り上がり

   ・昭和40年(1965)に同和対策審議会の答申が出され、昭和44年(1969)に同和対策事業特別措置法が制定されと、この頃は部落解放運動の高揚期であった。よって、部落解放運動に参加する入り口が狭山闘争となり、運動が盛り上がった。部落解放同盟は、昭和44年(1969)の第24回全国大会以後、「権力側の、部落に対する差別と偏見によって、集中的に部落に攻撃をかけ、世間にある差別意識のうえにたって行われたもの」であるとして、本格的に運動を始めた。

  ②、左翼過激派が加わる

   ・狭山闘争には、中核派や革命的労働者協会(革労協)が加わり、中核派が浦和地裁に火炎瓶を投げ込んだり、革労協が東京高裁で有罪判決を下した裁判官をバットで襲撃したり、過激な事件が起こった。これを嫌って、共産党が狭山闘争から離れた。

3、影響

 (1)、狭山同盟休校

  ・部落解放同盟の政治的活動が学校教育に持ち込まれるようになった。事件が最高裁に係属した昭和51年(1976)には、石川の無罪を訴えて、解放同盟員の子どもを一斉に学校を休ませる「狭山同盟休校」が、全国数万人規模で行われた。また、道徳や同和教育の中で、「石川一雄さんは無罪だ」と教えたり、子どもたちに「狭山差別裁判糾弾」などと書かれたゼッケンを付けて登校させるなどが行われた。

 (2)、「部落民宣言」へ

  ・狭山同盟休校によって、誰が部落民の子なのかが学校に知れ渡ってしまった。これ以後、部落解放同盟の強い影響を受けた地域においては、部落の児童・生徒がクラス全員の前で自分の住んでいる場所は部落であるという宣言する「部落民宣言」あるいは「立場宣言」と呼ばれる教育が行われるようになった。

<参考文献>

『近代部落史』(黒川みどり、平凡社、2011)
『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)


日本部落史(36) 同和教育

1、「融和教育」「同和教育」「責善教育」「民主教育」「福祉教育」

 (1)、意義

  ・被差別部落に住む人たちの中には小さいときから子守奉公や家の手伝いなどで学校に行きたくても行けない人が多くいた。教育をうけないがために社会に適応できず貧困の連鎖が起きないように、子どもだけではなく親に対しても教育が行われた。このような取り組みは明治期から始まり、「融和教育」「同和教育」「責善教育」「民主教育」「福祉教育」などと呼ばれた。

   cf.神戸市の番町部落で育った加茂田重政氏は字の読み書きができず、刑務所で覚えたと語っています。



 (2)、内容

  ・部落の子どもの学力向上、生命の尊重、健康の保持、市民的権利についての理解、合理的・科学的な考え方の育成、望ましい人間関係の情勢などが教育の内容となった。教育基本法14条2項に教育の政治的中立が定められているので、特定のイデオロギー教育は施されず、また部落問題を子ども達に教えるための特別な授業も行われなかった。

2、「解放教育」

 (1)、意義

  ・昭和38年(1963)に、埼玉県狭山市で高校一年生の少女に対する強盗強姦殺人事件が起こり、被差別部落出身の貧農・石川一雄が逮捕された。ここから狭山闘争が始まる。この狭山闘争以後、同和教育は大きく変わり、一部の地域では学校や教育委員会と部落解放同盟が連携し、あからさまに部落解放同盟のイデオロギーを取り入れた特別な授業が行われるようになった。この「部落教育」を受けた世代は、たいてい印象がよくない。

 (2)、内容

  ①、狭山同盟休校

   ・部落解放同盟の政治的活動が学校教育に持ち込まれるようになった。事件が最高裁に係属した昭和51年(1976)には、石川の無罪を訴えて、解放同盟員の子どもを一斉に学校を休ませる「狭山同盟休校」が、全国数万人規模で行われた。また、道徳や同和教育の中で、「石川一雄さんは無罪だ」と教えたり、子どもたちに「狭山差別裁判糾弾」などと書かれたゼッケンを付けて登校させるなどが行われた。

  ②、「部落民宣言」へ

   ・狭山同盟休校によって、誰が部落民の子なのかが学校に知れ渡ってしまった。これ以後、部落解放同盟の強い影響を受けた地域においては、部落の児童・生徒がクラス全員の前で自分の住んでいる場所は部落であるという宣言する「部落民宣言」あるいは「立場宣言」と呼ばれる教育が行われるようになった。

  ③、思想改造

   ・教育内容に疑問を持ったり、異論をはさむことは許されず、教師から延々と説得されたり、強制的に「思想改造」のようなことも行われた。

<参考文献>

『部落問題入門』(全国部落解放協議会、示現舎、2020)

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